コラム(2009年〜2011年)



小児休日当番医

平成23年12月 

今年、当院は喜多・八幡浜・西予地区 小児休日当番医を6回担当しました。その来院患者数は以下の通りです。(平成23年は夕方5時まででした)
1月10日(成人の日) 67人3月20日(日) 113人5月5日(こどもの日) 92人7月17日(日) 98人9月19日(敬老の日) 116人11月13日(日) 55人   計6回、合計 541名、1回平均 90.2人


6回中4回までが100名前後の数になっています。この人数になりますと、1人の診察に1分長くかけると、終了時間が1時間半から2時間遅くなります。昼休みなしで患者さん1人あたり4分ちょっとで診ても、終了時間には終わりません。待ち時間は、時間帯によっては2時間近くになることがあります。重い患者さんが来ると、時間がどんどんずれ込んでいきます。
受診者の大部分が当院かかりつけの患者さんではないので、保険証の確認、電子カルテへの打ち込み操作など受付業務にも時間がかかります。3月20日のようにインフルエンザの患者さんが40人も来ると、患者さんの誘導だけでも看護スタッフの手が取られます。当院は、この辺りの個人の小児科医院としては職員の数が多い方ですが、ゆっくり説明などする時間もなく、まともな医療にはなりにくい状況です。重症患者など診れるはずもありません。でも、何とか頑張ってやっています。その気持ちを萎えさせないようにしていただきたいと思うこの頃です。

休日当番医の診療をしていますと、いつもではありませんが、その日の天候によって人数が変わり、患児を連れてくる保護者にはいくつかの特徴、共通点があることに気づきます。これについては、またの機会にしたいと思います。



タイの洪水

平成23年12月 

トヨタ自動車、日産自動車、ホンダ、マツダ、いすゞ自動車、ダイハツ工業、パナソニック、日立製作所、ソニー、東芝、シャープ、三洋電機、キャノン、住友化学、クラボウ、ダイキン、江崎グリコ、日本ハム、三菱UFJ銀行、三井住友銀行などなど。タイに進出している企業である。いずれも日本有数の企業である。
数か月前からタイの洪水のニュースをテレビでよく見かける。その被害の大きさもさることながら、これほどたくさんの日本企業がタイに進出し、工場やオフィスを持っていたことに驚いた。自動車メーカーなどは、基幹部分のほとんどの物をタイで作っているそうだ。

タイは東南アジアの国で、正式にはタイ王国と呼ぶ。首都はバンコクである。国王がいて、国民のほとんどが仏教徒であり、日本とは古くから交流があり馴染み(なじみ)がある。日本企業進出の背景にはこのことも関係しているかもしれないが、主たる理由はやはり、法人税が安いこと、若い労働者を集めやすく人件費も日本よりはるかに安くてすむこと、関税特権があることだろう。
それにしても、タイ1国だけでこれほどの多くの企業が出ているとは。国内での雇用がなくなるわけだと思った。今、日本の企業とくに輸出産業は、円高、東日本大震災で大きなダメージを受けているところが多い。今後、日本での電力供給が不安定になったり、財政赤字の是正や震災復興のための法人税や企業が払う社会保障費が引き上げられたり、少子高齢化が進み労働力不足になるなら、もっと多くの企業が海外に出て行ってしまうかもしれない。今日の日本国民が抱く閉塞感の根底には雇用不安というものがあるように感じる。どこかの政党やマスコミみたいに、企業だけを悪者扱いにして済む問題ではないと思う。



ちょっとした「数」の話

平成23年11月 

私には以前から新聞、さまざまな雑誌、パンフレット、広告のちらしに至るまで、興味のある面白い内容の記事、文章を切りぬいて置いておく習性がある。しかし、それを年代やジャンルに分けてきちんと整理するということをしないので、そこらまわり“切り抜き”だらけになってしまっている。大まかな内容は覚えていても、どの新聞、雑誌に書かれていたものか思い出せず、たとえそれを覚えていたとしてもその切り抜きをどこにやったか、わからなくなっているものが多い。そのような中で、今、手元にある最近のいろいろな“数”に関する事柄を紹介します。
* 日本で1年間に捨てられる食品は、東京ドーム約80杯分の1900万トンに上り、世界の7000万人が1年間食べていける量に相当する。  <今なお世界中で餓死する人が多いのに、なんというもったいないことを>

* 総務省が10月26日、2010年に実施した国勢調査の確定値を発表した。都道府県別人口をみると、愛媛県は5年前の調査の時に比べて3万6322人減少しているがその人口は143万1493人で、石川県(116万)、滋賀県(141万)、奈良県(140万)、長崎県(142万)より多い。四国の他県の人口は、香川(99万)、高知(76万)、徳島(78万)で100万人を越えている県はなく、高知、徳島の人口は意外にも愛媛の半分ちょっとであった。 <それなら、各界の成功者、有名人がもっといて、広く知られた産業や企業もあってもよさそうに思うのだが。もっとも四国中央市の○○製紙は本業と違う事で相当有名になってしまった。>

* 日本の国と地方を合わせた借金の額が、今年度末に1000兆円を突破する。その利払いだけで1分間に2000万円ずつまた借金が増えているそうだ。 <借金の額ではギリシャやイタリアどころの話ではない。対岸の火事とはとても思えない。>

* 昨年の30歳代後半の未婚率は、男性が34.6%、女性が22.4%で、20年前の1990年と比較すると男性は2倍弱、女性は3倍の数値になっている。  <自分の意思で独身を通している人もいるだろうし、結婚したくてもその機会に恵まれない人もいるだろう。就活も婚活も難しい時代になっているのかもしれない。ただ、“選り好みしすぎ”の感じがしないわけでもない。>




 世界人口 70億人突破

平成23年11月 

世界の人口が70億人を突破した。国連人口基金が先月末に発表した今年度版「世界人口白書」で示した推計である。今から200年前の西暦1804年人類は10億人で、その後約120年かけて倍の20億人(1927年)になった。ところが近年、人口は急増しており、1999年の60億人からわずか12年間で10億人増加した。

この急激な人口増加はさまざまな問題を惹起する可能性がある。
最も身近なものとして、食糧問題がある。人口が急カーブで増え続けても、食糧の増産の方はなかなか進まないと思われる。むしろ、人口増加によって農地、海洋の環境や生態系が乱され、食料生産が持続困難になることも考えられる。中国など農産物輸出国であった国が文明の進歩によって生活スタイル、食生活が変化し、農産物の種類によっては今や最大の輸入国になっている物もある。国連食糧農業機関によると、水産資源として豊富とみなされる魚の種類は20%にすぎないそうだ。
急激な人口増加は、これ以外にも(脱原発の今後)石油、天然ガス、石炭などの電力資源の不足、貧富の差の拡大、紛争の増加、福祉予算の増加、ひいては国家財政のひっ迫、雇用問題など、厄介な問題を引き起こしそうである。
「決して悪いことだけではない」と思いたいのだけれど、この70億人という大きな数字と昨今の社会情勢を合わせると、果たして人類の繁栄は続くのだろうかと心配になった次第である。それから、地球にある資源には限りがある。大切にしたいものである。



つくられる病気の流行

平成23年9月 

「こう次々病気にかかると、(子が病気になったので休みますと)自分の職場に言いにくくて・・・」 「子どもがしょっちゅう病気にかかるので、主人も私も、もう年休がなくなってきて・・・」 「この子が病気になると、また下の子にうつって、ひどなるんやろか・・・」 当院に子どもさんを連れて来られるお母さん方の声である。
感染症にかかった後、登校、登園が可能となる基準は、患者本人が良くなっていることが前提であるが、人に病気をうつさない状態かどうかが最も重要な事項である。例をあげると、水痘(水ぼうそう)なら“すべての発疹が痂皮化(かさぶたになる)するまで”、おたふくかぜなら“耳下腺の腫脹が消失するまで”となっている。

今、流行(はや)っている手足口病についてである。どういう偉い先生方が決めたのか知らないのだけれども、“解熱し、口内の症状が改善すれば登校可能”となっている。この条件と、水痘、おたふくかぜ、インフルエンザ、はしかなどの出席停止期間の基準ではレベルが全然違う。「手足口病なんか大した病気でない」と言ってしまえば、それまでであるが、乳児がかかっておっぱいが全く飲めなくなったり、無菌性髄膜炎になって入院する子も、たまにいる。そこまで重くなくても、口の中を指さして痛い痛いと泣く子をみるのは、親としてはつらい。
手足口病では、高熱が出る子もいるが、熱の出ない子もいる。口の中の発疹も、いっぱい出る子もいれば、ほとんど出ない子もいる。口の中にブツブツが数個あるだけでもひどく痛がりものが食べれない子もいるが、いっぱい口内疹があってもふつうに食事ができる子もいる。先の条件をそのまま採用すれば、手足口病と診断されても、大した熱はなくパクパク食べていれば、幼稚園や保育園を休まなくてよいことになる。事実そうして翌日からふつうに園に通っている例があるようだ。その子に感染力があった期間はなかったかの如くである
「手足口病にかかったあとで、もう保育所に行っていた子が、うちに来て一緒に遊んだら、この子が手足口病になった。」 何度も聞いた話である。“はやっている”と一言で言い表せる現象ではないと思う。“うつされた側の人”が、すぐさま “うつす側の人”になってしまう連鎖が続くのであれば、どんな感染症でも流行する。

インフルエンザが流行するたびに、数百人の患者を出す学校がある。将来、もし毒性の強い鳥インフルエンザのような病気が流行(はや)りでもしたらどうなるのだろうかと、本気で心配になることがある。



政権政党に値せず

平成23年8月 

世の中にはいろいろな考えを持った方がいるので、不特定多数の人を対象とする医療の場では、宗教、政治の話は禁句とされる。それを承知で以下のことを書いている。先の総選挙で民主党が圧勝し政権を取ってから2年が経った。その2代目の現内閣が今まさに終焉を迎えようとしている。わが国の総理大臣なので、敬意を表して、「在任中予期しないことが次々に起こり、お疲れまでした。」と、ひとまず言うべきかもしれない。

しかし、ここ何か月間、政治の混迷は目を覆うばかりであった。与野党を問わず国会の議長、政権内部からも「早く辞めろ」コールが沸き起こっていた。先日、新聞を読んでいたら、中曽根元首相が“過去も未来もない政権”ときつーい表現で現政権を批評していた。その通りと思う。昨日今日のニュースでは、民主党政権3代目の首相のポストをめざして、例によってパッとしない人たちが動きを加速している。ただ、これはいわゆる<政権たらいまわし>で、民主党が野党時代に猛烈に批判していたことである。「国民に認められた政権ではない。解散して、国民の信を問え」いつも怒鳴っていた。この党は不思議な党で、野党時代に批判していた言葉の多くが、政権を取った今、ブーメランのごとく自分たちにそのまま返ってきている。<密室政治>この党の議員は決まり文句の「国民的合意を得て・・」「開かれた議論を・・」を連発するが、どこでだれがどういう議論をして決めたか、政策決定のプロセスが不明瞭である。<カネと政治の問題>自らをクリーンな政党と評し、野党時代には前政権政党を金権政治と批判し、激しく追及していた。ところが、お母上からびっくりするような額の“子ども手当”をもらっていた前首相、強制起訴されている“剛腕”、今回の代表選にまた立候補している元代表をはじめ、カネにまつわる問題が次々出てきてきた。<派閥政治>自民党議員が呆れるほどの派閥争いをやっている。

「民主党はご機嫌取り政党。」 現民主党政調会長で内閣の国家戦略担当大臣のポストを兼ねる方の言葉である。その通りと思う。「お金をあげます」 「タダにします」 福祉ポピュリズムの極みみたいなことを言い続けてきた。財源については、大勝した前回の総選挙の時から矛盾、不備を指摘されていたが、政党幹部をはじめうさん臭い新人候補まで全員が声をそろえて、「増税によらずとも・・・」「行政の無駄を徹底的に洗い出して・・・」「われわれが政権を取れば、埋蔵金が・・・」というようなことをしゃべっていた。結果としては、予算、補助金の削減は大してできず、正義の味方ぶってアピールした事業仕分けも今となっては粗(あら)ばかりが目につく。埋蔵金なんて言う程のものはなかった。以前からこの政党が力を入れてきた“マニフェスト選挙”のマニフェストとは、彼らが実際にやってきたことから解釈すると、選挙の票を稼ぐため、実現不可能なことをいかにもできるように言う、詐欺まがいの、何でもありの政策集となってしまう。個々の議員を見ても、政治家としての資質をあまり考慮せず、票が取れるかどうかだけで候補者の人選をしてきたので、真の政治家が少ない。政治評論家の三宅氏がうまく表現していた。「学校でホームルームをしていたような連中が、国会に出て来て政治をやっている。」  

しかし、発想を転換し、長い目で見れば、これで良いのかもしれない。この際、一日でも長くこの人たちに政治をやってもらおう。そうすれば、ほとんどの国民が今の政治、政党の未熟さ、問題点に気づき、骨の髄まで懲りるだろう。与野党を問わず、耳ざわりの良いことばかり言う政治家はもう要らない。



大きな感動

平成23年8月 

年齢を重ねていくと、日常生活において心から感激するということがどんどん減ってくる。そして、将来味わえるであろう喜び、生きる目標、今生きている中での自信と誇り、等々、これらの事を思い描き、心に持つことがなかなかできなくなってくる。一方、トラブル・もめ事、失敗、予想外の出来事などは少しも減らずむしろ増えていく。中高年、とくに男性の自殺が後を絶たない大きな原因の一つであろう。

このような中で、ときにスポーツは大きな感動と力を与えてくれる。先日のサッカー女子ワールドカップでの“なでしこジャパン”の快挙がそうであった。1986年の初対戦から24試合一度も勝てなかったアメリカ相手の決勝戦は、「人間、あきらめてはいけない」を象徴するゲームだった。新聞の投稿欄に、「東京オリンピックで金メダルを取った日本女子バレーボールチームの“東洋の魔女”を思い出した」との記事が載っていた。還暦を過ぎた年配の方はそう感じただろう。
私にとって、ここ十数年間で非常に強く印象に残っている感動のシーンが3つある。挙げてみると、1998年の長野オリンピック・ジャンプ団体で原田雅彦選手ら日本チームが優勝したとき、“Qちゃん”こと高橋尚子さんが2000年のシドニーオリンピックで日本女子陸上界で初の金メダルを獲得したとき、2009年のワールド・ベースボール・クラシック (WBC) の決勝戦でイチロー選手がタイムリーヒットを放ちWBC連覇を達成したとき、である。長野オリンピックでは、原田選手の番が来ると、失敗ジャンプにならないようにひたすら祈った。ドキドキして自分の心拍数が上がった。バッケンレコードとなる大ジャンプで着地した時は涙が出た。シドニーオリンピックでは、Qちゃんが、かけていたサングラスをレース終盤に沿道に投げ、それと同時にスパートをかけて2位の選手をぐんぐん引き離していった姿は実にかっこよかった。WBCでは、それまでの試合で不振を極めていたイチロー選手が延長10回に2点タイムリーを打った時は、仕事をしていた病院の待合室から悲鳴に近い歓声が沸き起こった。慌ててテレビを見に行ったが、映し出されていたセカンドベース上のイチロー選手は神々(こうごう)しいまでの姿であった。どのシーンも頭に焼きついている。これらにもう一つ、今回の“なでしこジャパン”の驚異的な粘り、とくに試合終了間際の沢選手の同点ゴールのシーンが加わった。

近頃、悲しいことで涙が出ることはほとんどないが、うれし涙にはめっきり弱くなってしまった。知人の中にも、同じような事を言う人がわりといる。世の中、つらく悲しいことはいっぱいあるけど、うれしいことがそれほど少ないということであろうか。「頑張れ」と人から言われても、なかなか「よーし」という気分にはならないが、スポーツの感動シーンで元気をもらって、「がんばるぞ」と思った人は多いだろう。
この夏、“なでしこ”からすばらしいプレゼントをもらった。これを長く活かして行きたい。





ドーンと吹き飛ばして、ぱあっと

平成23年8月 

今年3月の東日本大震災、それに続く福島原発事故によるもろもろの被害。最近は牛肉の放射性セシウム汚染が問題になっていた。先週は、新潟、福島両県での記録的豪雨により広い範囲で河川の氾濫、土砂災害が起こった。橋が落下・流出し、農地が冠水するなどの映像がテレビに映し出された。死者、行方不明者も出て、40万人に避難勧告が出された。過去何度も水害をもたらした肱川がすぐ近くを流れる大洲の住民の一人として、他人事(ひとごと)とは思えなかった。
昨日、名門企業の日立製作所が今年度中にテレビ生産から撤退することがニュースで取り上げられていた。今後、海外メーカーへ製造を委託するとのことである。国内での雇用がまた減る。今日は今日で、今春4年制大学を卒業した大学生の就職率が61.6%で、正社員になれず就職が決まらなかった学生さんが10万7千人もいたことが報道されていた。ここ大洲市でも昨年、市のシンボルの一つと言えるような大きな会社が閉鎖され、多くの従業員の方が大洲から去った。当院に来てくれていた子どもさん達もご両親とともに引っ越して行った。今また、閉鎖がささやかれている会社もある。市内の高校では、地元企業からの求人がほとんどないと聞く。
かくて国も地方も戦後の繁栄を支えていたものが少しずつ崩れ落ちているように思える。

昨日、大洲 川まつり花火大会に行った。めずらしく間近で観た。赤、金、だいだい、緑、青など鮮やかな色の光が轟(ごう)音とともに夜空に輝き、久しぶりに真夏の花火を堪能した。ここ10年以上、打ち上げ会場で花火を観たことはなかった。車を止める場所を探すのが煩わしく、行き帰りの道路が混雑し、会場の人ごみに入るのも嫌だったので、例年、いくつかある花火大会のうち1回だけ、人のいない離れた所で家内とひっそりと観ていた。遠くても花火そのものはしっかり見えたが、当然のことながら、音が遠く小さく、しかも少し遅れて聞こえていた。
今年花火大会に臨場して、花火の主役はパーンパーン、ドーンという体に響くあの豪快な音ではないかと思った。花火が大きく開く時の音は、もちつきの音や棟上げ(建て前)の日の木づちで柱を打つ音と同じように威勢がいい。縁起の良い音である。はじめに書いたように、近頃聞く話は景気の悪い事柄ばかりである。大きな花火が世のよくない事をパーン、ドーンと派手に吹き飛ばしてくれるように感じた。景気というものは世の人の心理状態にも影響される。花火を見て、心の中をぱあっと明るくしてもらいたいものだ。
ついでに、近くで観てわかったが、花火大会ではすごい量の煙が出る。喘息の子には絶対良くないと改めて思った。褒めたりけなしたりで申し訳ない。



育児   − おばあちゃんは一歩下がってあげて

平成23年7月 

 「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア」 ご存じ石原慎太郎東京都知事の数ある失言、問題発言の一つで、訴訟にまでなった有名な言葉である。今回、私はここまでの事を言うつもりはない。また、石原都知事は、決して失言ばかりではなく、時には胸のすくような勇気ある正論も吐いていると思っている。ちなみに、石原慎太郎、裕次郎兄弟の父親 潔氏は愛媛県長浜町の出身であり、ルーツはまさしくこの辺りである。このことは意外に知られていない。

おばあちゃんは孫のことが気になる。自分の娘がしている子育ても気になってしょうがない。ましてや、息子の嫁がやっていることとなればさらに心配で、文句の一つ(これが一言ではすまない)も言ってみたくなる。薬を飲ませたか、あの病院はいかん、注射じゃないと治らん、いっぺん祈祷師にみせてみたら、アロエがええ、オロナイン塗ったか、風呂は入れん方がええ、などなど。的を射たアドバイスもあるが、かき回すだけかき回して益のない言動も実際に多い。小児科医もおばあちゃんには泣かされることがある。人の話を聞かない。聞けない。ズンズン押しまくる“ガイな”ばあちゃんが増えている。
一方、お母さん達は大変忙しい。お母さんの多くが仕事を持っている。朝早くに起きて、旦那さんと子どもの食事を作って、子どもに食べさせて、保育所に連れて行って、職場に向かう。子どもが病気の時には夜泣きや咳などで夜何度も起こされ、ゆっくり休めない日がある。仕事中でも、保育所や幼稚園から「熱が出たから連れに来て」と電話がかかることもある。職場では一定の責任を負わされており、あんまり休むとクビになる心配が出てくる。心身ともにしんどい立場である。
こんな状況で、育児のことや子どもの病気のことを自分なりに考えてやっていても、まわりからごちゃごちゃ好き勝手なことを言われると参ってしまう。私が知る範囲では、概して、おばあちゃんの言動がお母さん方の大きな負担になっていることが多い。新聞の身の上相談コーナーでも、「義母の言葉でノイローゼに」というような記事をよく見かける。相手が姑となると、ぐっと堪えているお母さん方も多いだろう。
おばあちゃんも、多くの場合、別に悪気があって言っているのではないのでしょう。孫の事が心配で言っていることなのでしょう。しかし、気になるからといって、何でも口に出していいというものではないと思う。自分が子育てをしていた当時を振りかえって、そんなに完璧な子育てをしていたかどうか。まわりからあれこれ言われて、いやな気分になったことはなかったかどうか。
おじいちゃんが孫を連れて医院に来ることもある。どんな職業の人でも、気配りをして頭を下げていかないと、その年まで仕事を続けていくことはできないので、おじいちゃんは紳士が多く、話がしやすい。無論例外もある。おばあちゃんがりっぱだったから、子どもがまともに育ったという例もけっこう見てきた。

私は石原都知事みたいに勇気?がないので、これを書くにあたって、まわりの女性何人かに話をしてみた。ある2人の女性が声をそろえて、「一歩じゃいかんわ。3歩ぐらいは下がってほしいわ。」



選挙 いろいろ                    平成23年6月

野党が内閣不信任案を提出した。政権与党は相も変わらず仲間割れをしていて、不信任案に同調する動きがめだっていた。これが可決されれば、首相は伝家の宝刀である衆議院の解散に打って出たかも知れない。議院内閣制の政治制度をとっているわが国においては、内閣不信任案の決議は政局最大の山場である。結果は、首相の例の「一定のめど」発言で、与党がぎりぎりのところでまとまり、不信任案を大差で否決した。ある意味で、この総理は政治家としてかなりしたたかで、うまく乗り切ったと言えるかもしれない。後になって、「ペテン師」「だまされた」と怒っていた“造反するつもりだった”与党議員の方がまぬけなのかもしれない。
このような政治の動きに対して、国民の多くは、震災処理・復興、原発問題等でやらなければならないことが今いっぱいあるのに政治は何をやっているのか、と批判的であった。

一方、時を同じくして、人気アイドルグループ AKB 48の「第3回選抜総選挙」という“イベント”が行われていた。興味のない人にとっては、全くどうでもよいことかもしれない。しかし、CDを買って、仲間を集めて、必死になって投票した若者が大勢いたのである。私はその投票数に驚いた。投票総数は117万票で、1位に返り咲いた前田敦子さんは14万票弱を獲得し、2位となった昨年の覇者大島優子さんは12万票あまりを獲得している(二人ともふつうの名前である)。昨年11月に行われた愛媛県知事選の有権者数は118万人で、AKB 総選挙の投票数とほぼ同数である。ちなみに、県知事選の投票数は58万票であった。お気に入りのAKBのメンバーに投票するため、CDを一人で何枚も買って投票した者もいるだろうから、一律に比べることはできないが、それにしても大変な数字である。平和な国ニッポンを象徴するような現象であった。
AKB48の総合プロデューサーは秋元康氏である。AKBメンバーのみならずマスコミ、ファンも、彼の手のひらの上で踊っているようにも見える。それはそれでよいと思う。彼は、若い頃から放送作家として頭角を現し、美空ひばりさんが歌った名曲「川の流れのように」の作詞者としても知られる。AKB総選挙を含めて、嫌味抜きで、彼には優れた才能があると思う。たぶんしないとは思うが、来年の今頃、自分も2位になった大島優子さんを1位にすべく投票しているかも。



 女性のやせ願望と低出生体重児の増加

平成23年6月 

近頃の若い人は(年を取ってきた者が最もよく使う言葉で、自分としては残念)、背が高く、脚も長く、スタイルの良い人が多い。こちらとしてはたびたび肩身の狭い思いをしている。風呂場の鏡にうつる自らの姿は気分が悪くなるので見ないようにしている。たまに深く反省もしている。
しかし一方で、やせ過ぎではないかと気になる女性が増えてきた。先日も松山の商店街を歩いていると、大げさかも知れないが、鶏肉なら食べるところがないような体つき、ごぼうのような細い脚の女性を多く見かけた。好きでやせているわけではないという女性もいるかもしれないが、今回の話は、新聞記事を基に、今のお母さん世代を含めて、若い女性の“やせ願望”に問題提起をしたく書いている。

日本人の20歳代の女性で、世界共通の体格指数であるBMIが18.5を切る「やせ」の比率は、1980年代に1割程度であったものが、1995年以降は毎年2割を超えている。20代、30代の女性の栄養摂取量は60歳代のそれを下回っている。背景には、女性の“やせ信仰”と言えるようなものが関与しているようだ。その影響で、やせ過ぎの妊婦、正常に体重が増えない妊婦が増えている。「妊娠中も太りたくない」と思う女性がいる。理屈はわかっていても、長年の栄養不足のゆがんだ食習慣を矯正できない妊婦もいる。
その結果、日本の赤ちゃんの出生時の平均体重は1975年(昭和50年)をピークに減り続けている。その一方で、2500g未満の低出生体重児が増加している。今では、生まれた赤ちゃんの約1割がこれに相当しており、先進国でこれほど増えている国はないそうだ。事態はそれにとどまらない。胎児期の栄養不足は成人になってからの生活習慣病のリスクになっている。もうかなり前から、欧米での調査で、低出生体重児は成人後に高血圧や糖尿病などの病気を引き起こしやすいことが証明されていた。近年わが国でも、低出生体重児は12歳の時点ですでに中性脂肪の値や動脈硬化を示す指数が正常体重で生まれた子のデータより悪いとする研究結果が報告されている。やせ =(イコール)美しい、人より優れている、価値あるものという認識は改めなければならない。

私の身近にもやせ過ぎと見える女性がけっこういるが、多くの場合、ある共通点がある。一つは、ボディー・イメージの障害。これは、神経性食欲不振症(拒食症)で使われる用語であるが、実際には太っていないのに、自分は太っていると思っている人が以外に多い。もう一つは、「うちの主人がねえ、もっとやせいって言うんよー」である。どうも女性だけのせいではなさそうである。ひとこと言いたい。「ご主人。奥さんがそれ以上やせたからといって、今より・・・・」。



 おかしくなってきた 子どもの命名

平成23年4月 

生まれた子どもはかわいらしく、親はだれでもよく考えて子どもの名前を決めていると思う。しかし、最近、えらいことになってきたなと感じる名前を目にすることが増えた。
喫茶店やスナック、バーの名前でみるような無理のある当て字、漢字で書く名前であるがそれを英語に読み替えて呼び名とするなど誰も読めない無茶な読み方、漢字検定の問題ではないかと思うような画数の多い漢字の組合せやその難しい読み方、最近女の子に多い源氏名(げんじな:芸者さんやホステスなどにつける呼び名)みたいな名前、等々。決して、個性的、独創的と言えるようなものではない。面白がって付けているのではないだろうが、誰か止める者はいなかったのかと思うことがある。

親(親以外のこともある)には子どもに名前を付ける権利があり、今日、完全にと言ってよいほど自由に名前を付けることができている。子どもの側からすれば、名前は一方的に付けられるもの、与えられるものであって、選ぶことができない。一旦、名前が決められると、余程のことがない限り、好むと好まざるとにかかわらず、その名前を背負って生きていかなければならない。今、日本人の平均寿命は男79歳、女86歳である。そんな年になっても、その名前で呼ばれることを名付け親は考えているのだろうか。

権利と自由ばかりが声高に叫ばれる世の中であるが、その裏には責任というものがある。子どもはお人形さんやペットではない。「妙な名前にしてくれたよな、パパ、ママ(父ちゃん、母ちゃん)」と、わが子が長く悩むことがないよう、ごく一部の人ではあるが、命名に際してはもっと考慮した方がよいのではないか。私の知人で、自分につけられた名前が嫌でたまらない人が言った言葉です。「誰もが変と思うような名前を付けるのは、ある種の虐待ですよ。」




肥満を憎んで、肥満児を憎まず

平成23年1月 

仕事柄いろいろな子どもと会うが、私はどちらかというと肥満の子は好きである。肥満が良いとは思っていないが、肥満の子は性格がおっとりして、やさしい子が多いように思う。診察室でも、よほどしんどい時でなければ、わりとにこにこしている。もちろん、例外はある。ここで話す肥満の子とは、小学校低学年くらいまでの子のことである。思春期の肥満になると、不登校、いじめ、引きこもり、親の失業、家庭内不和など、肥満の背景に社会的心理的要因が絡んいることがしばしばあり、かなり複雑である。筆者は大学病院勤務時代に中高生の肥満・2型糖尿病の診療に長くたずさわったが、これは実に大変だった。そのことはここでは触れない。

「肥満は体に悪い。」「肥満は自己管理ができていない証拠である。」「肥満者はいろいろな病気にかかるので、医療費をたくさん使う。ひいては、国家財政を圧迫する。」 昨今の論調である。正論だろう。自分も耳が痛い。しかし、近ごろ気になるのは、肥満児およびその保護者を目のかたきにしているような医療・保健・学校関係者の言動である。肥満児があたかも人間的に劣っているように本気で思っている輩もいる。一般に、こういう人たちほど、指導するにあたっての知識や経験に乏しい。肥満や生活習慣病に関する本を少し読み、講演をちょっと聞きかじった程度で、知ったか振りをして話をしている。

以前から気になっていたが、運動会・マラソン大会などで、見るからに足の遅そうな子を他の生徒と一緒に衆目の前で走らせて、ドべを見せつける。本人も親もつらいだろう。デブだとこうなると、見せしめにしているようなものだ。今日学校では勉強のできない子はかなり“保護”されている。その子の理解力、進歩に合った指導が求められている。ましてや、成績の悪い子のテストの点をみんなが見る校門に張るようなことはしない。小学校の通知表などは、親でさえ自分の子どもが成績が良いのかそうでないのかわからない表示になっている。

上のタイトルは、「罪を憎んで人を憎まず」を筆者が変えて作ったものである。この「罪を・・」の言葉は、孔子を原典とする説が多いが、西洋社会にも同様の教えがある。肥満児ついては、将来、生活習慣病にならないように、小児期からライフスタイルを矯正していく必要がある。食事については、まずは嗜好を変えていかなくてはならない。日々の生活の中で、体を動かす機会が増えるような工夫をしなければならない。行動・思考パターンにおける積極性を引きだしていかなければならない。
これらのことは一朝一夕にはできない。少なくとも、健診の場や診察室で、「あなたの育て方が悪いからこうなった。」などと母親を罵倒しても、何の解決にもならないことは確かである。また、医療・保健・学校関係者が、何を思ったか、異常に細かな炭水化物、タンパク質、脂肪の指示エネルギーを保護者に言っていることがある。どこのお母さん、おばあちゃんがそんなものを守って食事が作れるか、と思う。




ビートルズと山口百恵 

平成22年3月 

学生時代から数えると、少なくとももう12回は引越しをしている。その都度、ガラクタは捨ててきたが、どうしても捨てられないものがあった。中学時代から大学時代までの約10年間に買った古いレコードアルバムである。昭和の歌謡曲、フォークソング、国内外のロック、クラシックなど100枚くらいはある。いったいどんな趣味をしていたのかと自分で思うくらいジャンルが多い。なけなしの小遣い、少ない仕送りの中からやり繰りして買ったもので、それぞれに思い出がある。その頃何をしていたか、楽しかったことや悲しかったこと、それぞれのレコードを聴いていた時期の部屋の様子まで思い出す。
しかし、これらのレコードもここ6、7年はほとんど聴いたことがなかった。引越しの後長い間ダンボール箱に入ったままだったり、ステレオの配線をつないでなかったり、プレーヤーの針が折れていたり、また、自分の心にそれらを聴くだけの余裕もなかった。
先日、久しぶりに、じっくりといろいろな曲を聴いた。ビートルズと山口百恵。この人たちはやはり凄かったと感じた。実際に活動したのは、両者とも8年足らずである。共通しているのは、人気、実力ともにまだ十分あるときに、解散、引退したことであろう。ビートルズは解散後、再結成して4人がそろって演奏することは一度もなかった。一方、私が若い頃、歌謡界は今よりずっと華やかで、アイドル歌手と呼ばれた人は多かった。その中で、山口百恵さんはひときわ輝いていて、凛々しさもあった。引退後、歌手としては一度も大衆の前には現れていない。見事な引き際で、良い印象が残った。

「出処進退は自らが決める。」近頃、よく聞く言葉である。今のわが国の偉いお二人、“小” “鳩”さんらの30年後、40年後はどうだろうか。その演説、政権構想を懐かしんで、見たり聞いたりしてくれる人がどれくらいいるだろうか。
翻って、自分はどうか。まだ、何ほどの事もしていない。歌手で言えば、ヒット曲がない状況であり、引退を考えるような所まで行っていない。ただ、ぼんやりと思いつくのは、新しい知識が頭に入らない。小児の薬用量が思い出せない、覚えられない。薬の量を間違える。患者(子)や親の顔をすぐ忘れる。耳が遠くなって、聴診がまともにできない。ヨイショがうまい業者の話だけ聞いて、身近な者の忠告が素直に聞けない。こうなったら、まずいだろうなと思う。なにより、いっしょに仕事をしている職員から信用を失って、総スカンをくらうようだったら、“体力、気力の限界”という事にして、速やかに辞めないといけないだろう。ただ、医療の世界は、高齢になっても頑張っている方がたくさんおられます。それはそれで立派なことかもしれませんが・・・。



 走る子

平成22年2月 

寒さの中、白い息を吐きながら、運動場や土手を元気に走る子どものことではない。近頃、本屋さんに行っても、レンタルビデオ・CD店や大型スーパーの店に行っても、所かまわず不必要に走る子をよく見かける。
「危ないなあもう、こけるぞ」と思っていると、この子らは不思議なくらいよく転ぶ。だまって起きあがらずに、また不思議なくらい同じような顔をして大声で泣く。そして、同じような雰囲気の親が起こしに来る。駐車場で見かけると、これまた不思議なくらい同じような車(とくに内装)に乗っている。何をか言わんやである。




事なき時は薬を服すべからず。杉田玄白の『養生七不可』

平成22年1月 

子どもでも大人でも、調子が悪くなくても、薬を飲み続けないといけない病気がある。小児科では、先天性心疾患、先天性代謝異常症、てんかんなどの病気では、全例ではないにしても、毎日のきちんとした服用が必要である。また、医学の進歩に伴い、次々と新しい治療指針・ガイドラインが出されて、慢性の病気では、“早期からの治療” “厳格な管理” “長期に渡る治療”という表現が増えてきている。これらの治療指針は必要があって出されたものであり、作成した医師、研究者はいわゆるプロである。それらの先生方の努力に敬意をはらって、自らの診療の中で参考にさせてもらっている。
しかし、その一方で、実際に日々の診療をしていると、「この程度の症状、病気で、こんなに長い期間の治療が必要なのだろうか」と思わせる症例に遭遇する。小児科のみならず他の診療科で治療を受けている子どもでも、そう感じることがある。先日、当院に初めてお孫さんを連れてきたおじいさんの言葉です。「孫が鼻垂らして、咳をして病院に連れて行ったら、また来い、また来いと言われる。大したことなくても、ちいと咳をしたらすぐ喘息と言われる。薬は勝手に止めたらいかんと言われて、長いこと薬を飲まんといかん。ちょっと前までは、そんなこと言われんかったぞな。かぜをひいたら、咳も出るで。」 長く薬を服用しないといけない“咳の病気”も当然あるが、この症例については、ごもっともな御意見だった。

江戸時代の著名な蘭方医の杉田玄白は、7項目の養生訓を書き残している。その一つに、<事なき時は薬を服すべからず>とある。一理ありと思う。



 タミフルは“悪者”だったのか・・・

平成21年12月 

 昨シーズンまで、タミフルは“極悪人”だった。新聞、テレビで、連日のように、タミフルの内服によって重篤な異常行動を起こすと報道をしていた。知ったかぶりが得意なキャスターが、これでもか、これでもかというくらい攻撃していた。それだけでは視聴者に飽きられるので、この薬に関連した製薬会社、研究者、医師まで別件で攻撃していた。悪く言うのがマスコミの仕事とはいえ、まさに“坊主憎けりゃ袈裟まで憎し”状態であった。マスコミのみならず、小児科医の中にも、うちはタミフルみたいな危ない薬は使いませんと、公言している人もいた。
  それがどうしたことだろう、今や、「発病早期から使うことが大事。」「致死的な脳症や肺炎などの合併症の発症を防止する。」「タミフルが不足しているのは問題だ。」と変わってしまっている。タミフルなど飲まなくても、安静にしていれば、インフルエンザは治る(必ずしも間違いではない)と言っていた人が、「診断が確定しなくても、疑わしければ、投与した方が良い。」と言っている。これに公然と反論しているコメンテーターもいない。新型インフルエンザでは、タミフルを飲んでも異常行動は起こらないかのごとくである。また、異常行動についての報道もしない。不幸にも新型インフルエンザで亡くなられた方もおられるが、従来のインフルエンザに比して、今の新型インフルエンザの方が恐ろしいという結果にはなっていない。すでに、国内に蔓延してしまっており、「新型なので国民の多くが抗体を持たない」という理由で使う状況でもない。

  本当に怖いのは、事実と関係なく悪く言うと決めたら、視聴率、発行部数を稼ぐため、徹底的に叩かないと気がすまないこの国のマスコミと、一方向にザーと誘導されていってしまう国民性ではないかと思う。



 開院のあいさつ

平成21年8月 

このたび、大洲市東若宮に『大洲ななほしクリニック』を開設しました。少し縁起をかついで、末広がりのが重なる8月8日(大安)をオープンの日にしました。 偶然ではありますが、母校の西条高校が17年ぶりに夏の甲子園に出場し、この日が初戦で勝利しました。

大洲に来てから5年半が経ち、大洲市と周辺の地域の地名がわかるようになってきました。 微力ながら、引き続き、この地域の小児医療に貢献していきたいと考えております。


21世紀に入り、世の中が速いスピードで進んでいます。医療の世界も、同様で、めまぐるしい進歩がみられます。 これに大きな遅れをとらないように、私自身が頑張るとともに、 新しい薬、検査、医療器械を積極的に取り入れていきたいと考えています。なにとぞ、よろしくお願いいたします。




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