写真集

印象に残った写真をピックアップして載せています。



 東京百景(1)

令和6年2月 

東京に行った時の定宿(じょうやど)にしているホテルがあります。部屋の浴室の壁に、浮世絵師 歌川広重の「名所江戸百景」の絵が描かれています。それを見ながら入浴すると、落ちついた気分になります。そこで、自分なりの東京百景を作りたいと思いました。何年もかかるでしょう。完結しないかも。今年2月以降に撮った写真で印象深かったものを、徐々に載せていきます。
湯島天神(天満宮)には受験生やその家族らの長い行列ができていました。境内には梅の花(白梅が主)がきれいに咲いていました。また、鈴なりになった合格祈願の絵馬に目が留まりました。
そこから歩いて7-8分の所に神田明神があります。ここは比較的すいていました。テレビ番組の日曜劇場「VIVANT」の中で何度か映っていました。さらに進むと、湯島聖堂があります。江戸幕府直轄学校である昌平坂学問所が開設され、明治になると文部省が置かれました。
その先に御茶ノ水駅があります。駅の手前の聖橋(ひじりばし)を歩いている時、地下鉄丸の内線の電車が見えました。地下鉄電車を地上から見るのは珍しいです。ここは中央線(快速)、総武線(各駅停車)、地下鉄丸の内線の3路線の電車の立体交差が見える有名なスポットです。湯島天神からここまで1本道です。道沿いにうちの子が以前住んでいたマンションがあった所で、懐かしかったです。
写真Fは番外です。JR御茶ノ水駅から東京駅に行き、横須賀線で横須賀に行きました。

 
A. 湯島天神(2月11日)   B. 湯島天神の梅と合格祈願の絵馬


 
C. 神田明神(2月11日)   D. 湯島聖堂(昌平坂学問所)


 
E. お茶の水の切り通し・神田川(聖橋から)   F 番外. 日露戦争日本海海戦の旗艦三笠(横須賀市)



 新年の大掃除とくじ引き大会

令和6年1月 

年末にできなかったので、新年の1月10日に職員全員で院内の大掃除をしました。掃除後、恒例のくじ引き大会をしました。毎回、盛り上がります。本年もよろしくお願いします。

 
受付の大掃除   窓・ブラインドの掃除


 
おむつ交換台の消毒・清掃   大掃除後のくじ引き大会


 
2等、1等、3等   4等(ハズレ)



 元日の富士山

令和6年1月 

標高 3776m、日本一の山、富士山。富士山が目的の4回目の旅行(初めの2回は山梨側、あとの2回は静岡側)で、やっと、美しい富士山を鮮明に見ることができました。令和6年元日でした。

写真Aは静岡市の日本平(にほんだいら)から望む富士山です。日本平にはお茶畑があり、すぐ下には清水港が見えていました。徳川家康ゆかりの久能山東照宮にはここからロープウェイで行きます。
写真B
は、静岡市に来る途中の三島駅付近で撮った富士山です。中央に大きな宝永火口(直径1200m)が見えます。富士山は活火山です。最後の噴火が宝永4年(1707年)11月23日の宝永噴火でした。大規模かつ爆発的な噴火であったことが、山腹の「巨大な傷」が物語っています。
写真C三保の松原と富士山です。三保の松原は、富士山世界文化遺産の構成資産に登録されています。松原の中には、天女伝説で知られる「羽衣の松」があります。歌川広重の浮世絵にも出てくる景色です。
写真Dは、帰りの新幹線の中から撮った富士川と富士山です。このあたりでは富士山の全貌を眺めることができます。富士山はその高さもさることながら、左右対称になだらかな曲線を描く山裾に魅力があります。そして、雪をかぶった姿が絵になります。

 
A. 日本平から見た富士山   B. 富士山の宝永火口(新幹線の窓から 三島駅付近)


 
C. 三保の松原と富士山   D. 富士川から見える富士山の全貌



 富士山(富士五湖からの眺め)

令和5年9月 

9月17日(日)朝、羽田空港にあるホテルを出て、モノレール、山手線を経て、新宿駅から「特急かいじ」に乗りました。昼前に山梨県の甲府に着きました。富士五湖は、山梨県側の富士山麓にある5つの湖の総称です。今回は山中湖を除く4つの湖、河口湖(かわぐちこ)西湖(さいこ)本栖湖(もとすこ)精進湖(しょうじこ)に行きました。
河口湖畔からは富士山の長いすそ野が見えました。上の方は全く見ることができませんでした。運転手が「富士山は1年のうち3分の1しか見ることができない。甲府から見えない時は、近くに来てもまず見えないです」と語りました。この時点では「この雄大なすそ野で満足しよう」と自分に言い聞かせました。運転手に「コースは任せるから、混まない道を行ってほしい」と話しました。
西湖まで行くと、雲が退いて富士山の一部が見え始めました。うれしかったです。車は青木が原樹海のすぐそばを進みました。
次に訪れたのが本栖湖。ここから富士山を見ることが、今回の旅の最大の目的でした。あの千円札の富士山です。30分くらいそこで待ちましたが、残念ながら、山頂部分が雲で隠れたままでした。でも十分満足できました。
最後に精進湖に向いました。ここでしばらく待っていると、写真のような富士山が現れました。感激でした。

 
河口湖と富士山のすそ野   西湖から見えた富士山と青木が原樹海


 
本栖湖と富士山   「千円札の富士山」に近い写真


 
精進湖から見えた富士山   感激。来てよかった



 月遅れの七夕、開院記念日、立秋

令和5年8月 

月遅れ七夕8月7日、当院の開院記念日8月8日です。二十四節気の一つ立秋は年によって異なりますが、8月7日か8月8日のどちらかになることが多いです。今年は8日でした。
立秋と言っても、実際は猛暑が続く1年で最も暑い時期です。でも、この頃から青空に白い巻雲を見るようになります。夜になると、コオロギなどの虫の鳴き声を聞くようになります。暑さの中に潜む小さな秋の気配です。

 
七夕  


 
開院記念日  


 
よつば薬局(後ろの列が当院職員)  



 信濃の春 2023

令和5年5月 

8年ぶりの長野でした。前回(2015年5月4日、5日)は善光寺にお参りし、湯田中温泉に宿泊しました。次の日は川中島古戦場や松代城などを観光しました。
今回、全く同じ時期の5月3日、4日に長野を訪れました。写真の通り、雲一つない快晴で、昼間は25℃以上になる夏日でした。5月6日が立夏で、実際の気候も初夏でした。しかし、北アルプスの景色はでした。

写真A:5月3日17時24分東京駅発、北陸新幹線かがやき(グランクラス)に乗車しました。いつものことですが、ANAの飛行機が大幅に遅れて、危うく乗り遅れるところでした。グランクラスの車内サービスはいいです。
写真B上田城。2016年の大河ドラマ「真田丸」の舞台になった所です。千曲川の河岸段丘を利用して城砦(じょうさい)を築いています。
写真C松本城。さすがは国宝の城です。風格がありました
写真D北アルプスと松本城。素晴らしい景色でした。
写真E安曇野(あずみの)から見た眺め。連なる山々の中でひときわ高く、銀白の頂を見せる山が常念岳(じょうねんだけ)。美しい山です。小説や随筆の中にも出てきます。
写真F:黒い布でわさび田の上を覆っていました。その上を鯉のぼりがゆっくり泳いでいました。
写真G白馬。私事になりますが、40数年前ここで初めてスキーをしました。
写真H:新潟県との県境近くを流れる千曲川(ちくまがわ)。夕陽が川面と新緑の木々を照らしていました。

 
A. 北陸新幹線(GranClass 5月3日17時40分)   B. 上田城(5月4日10時)


 
C. 国宝 松本城(正午頃)   D. 北アルプスと松本城


 
E. 安曇平から常念岳を望む(13時)   F. わさび農場(安曇野市 13時半)


 
G. 40年ぶりの白馬(15時)   H. 千曲川(17時半)



 みかんの花

令和5年4月 

去年はみかんが2つしか取れませんでした。夏にはわかっていたことでしたが、これはかなりのショックでした。今年はその反動でしょうか、医院の庭にあるみかんの木にがいっぱい咲きました。白い小さい上品な花です。童謡「みかんの花咲く丘」が思い浮かびました。
4月25日頃に花は満開になりました。蜜蜂が頭を突っ込んでしきりに蜜を吸っています。蜜蜂は受粉に大事な役割を果たしています。去年は5月にアブラムシとカメムシに小さい実がやられました。今年は害虫の駆除にも心がけます。
追加ですが、4月の花と言えば、家の庭にはスズランが咲きます。これは例年通り、きれいに咲きました。

 
みかんの花 4月27日   4月27日


 
4月27日   4月28日


 
スズラン 4月16日   4月24日



 富士山

令和5年2月 

2月23日は「富士山の日」だそうです。語呂合わせです。今しがた、テレビのニュースの中で紹介されていました。そんな日があるとは今まで知らなかったし、どのカレンダーにも書いていません。一般的には、この日は「天皇誕生日」祝日です。

下に6枚の富士山の写真があります。写真Cを除く他の写真は飛行機の中から撮影したものです。

写真A
梅雨明け頃の日が長い時期です。駿河湾上空あたりからの眺めかと思います。
写真B
秋田空港を発ち、大阪伊丹空港に向っている時の写真です。手前にある山脈は北アルプス連峰だと思います。おそらく富山県上空かと。新潟県の日本海の海岸線に沿って飛行しているときも、富士山が見えていました。
写真C
平成最後元日の朝、ホテル(ニューオータニ東京)のカーテンを開けると、この富士山の姿が正面に見えました。感激しました。
写真D
冬至の少し前です。羽田空港着陸直前の写真で、手前に横浜の街が写っています。
写真E秋分の日の頃夕陽を西から浴びて、富士山が赤く染まっています。富士山が火山だということがよく分かります。
写真F
建国記念日の午前中の便で東京に行った時の写真です。三浦半島上空から撮った写真です。手前に相模湾江の島が写っています。

 
A. 2017年7月15日(18時13分)松山→東京   B. 2018年5月6日(14時00分)秋田→伊丹


 
C. 2019年1月1日(8時55分)紀尾井町のホテルの部屋から   D. 2021年12月18日(10時34分)松山→東京


 
E. 2022年9月25日(17時32分)東京→松山   F. 2023年2月11日(10時45分)松山→東京



 年末恒例 くじ引き大会 2022

令和4年12月 

12月25日1月2日が小児休日当番医に当たっていました。新型コロナ第8波のさなかに、中7日で2回当番医をすることになっていたので、気が休まらない年末でした。12月28日、ひとまず仕事納めとしました。恒例のくじ引き大会で、院内の雰囲気が明るくなりました。
12月に入って、保育所学校で新型コロナの発生が多く、子どもが濃厚接触者あるいはコロナ感染者になって、仕事に行けなくなる母親が大勢いました。また、そうこうしているうちに、自分もかかってしまい、さらに長く仕事を休まなくてはならなくなりました。それぞれのお家が大変だったと思います。一方、職場の方も人員不足で大変でした。

 
12月28日(職員休憩室)   当たりの組


 
はずれの組   良いお年を



 乙亥(おとい)大相撲

令和4年11月 

11月最後の日曜日(27日)に野村町の乙亥大相撲に行ってきました。晩秋の風物詩ともいえるこの行事が以前から好きでした。しかし、2018年7月の西日本豪雨による乙亥会館の甚大な被災や2020年からの新型コロナウイルスの感染拡大により、近年は規模を縮小した開催となっていました。乙亥相撲は今回が第171回で、江戸時代から続く地域の大切な伝統行事です。これからも応援していきます。

 
のぼり旗(中央の旗には私と医院の名)   乙亥会館


 
土俵風景   そろい踏み


 
取組(一般青年の部)   大きい楓の木(大洲市梅川)



 秋の一日(越後湯沢から会津若松へ)

令和4年10月 

10月9日朝、知人がホテル(越後湯沢)に迎えに来てくれました。2年ぶりの再開でした。彼はリタイアした後もいろいろ仕事を頼まれ、忙しい日々を過ごしていました。
ホテル周辺の木々の紅葉が始まっていました。自分にとってはかなり早い7時半に、目的地の会津若松に向けて出発しました。「途中で良い景色が見れるよ。それにこの道の方が近道だから」
六十里越峠博士峠などいくつもの山を越えて進みました。国道252号線に並走するようなJR只見線は、この10月1日に全線再開通したばかりでした。地元住民が喜んでいる姿が車から見えました。福島県に入ってからの只見町昭和村では、日本の秋の原風景を目にしました。のどかで心が和みました。日本人として、大切にしたい、残していきたい何かを感じさせる場所でした。
戊辰戦争の激戦地だった会津若松は今回初めて訪れました。意識的ではなかったにせよ、その暗い歴史から足が向かなかったのかもしれません。鶴ヶ城、白虎隊が自刃した悲劇の地飯盛山にも行きました。ちなみに会津は伊予松山城を築城した加藤義明が、晩年藩主となり治めた所です。

秋の日はつるべ落とし。帰りは暗くなるので、高速道路で帰りました。米どころ新潟の広々とした平野(田んぼ)や、2大河川阿賀野川信濃川が見えました。ホテルに戻って食べた季節感のある和食がとても美味しかったです。

 
色づき始めた木々(新潟県越後湯沢町 朝7時半)   道の駅 入広瀬(新潟県魚沼市 午前9時)


 
くり林(福島県南会津郡只見町 10時半)   すすきの群生(福島県大沼郡昭和村 11時15分)


 
会津若松城(鶴ヶ城)(13時半)   夕食(NASPAニューオータニ 19時50分)



 七夕飾りと新型コロナ

令和4年8月 

七夕(7月7日)の2週間前に、第1待合室に笹飾りを出しました。ちょうどこの頃からでした。大洲市内の新型コロナウイルス感染症が急激に増えていきました。恐ろしいくらいの広がり方でした。2月、3月にも流行がありましたが、その比ではありませんでした。
当院のスタッフの明るい笑顔が写っていますが、診療時間中は大変でした。感染防護服服を着て、炎天下の駐車場に出ていきました。下からも焼けたアスファルトの熱が伝わってきました。

 
七夕の笹飾りを出しました(6月24日)  


 
 


 
  開院記念日。この日に片づけました(8月8日)



 一足早い梅雨入り ー石垣島ー

令和4年5月 

松山から那覇(沖縄本島)まで飛行機で1時間50分、那覇から石垣島まで同じ型の飛行機で55分。日本は国土が狭いように考えていましたが、領土・領海・領空はかなり広いです。地図を見ると、石垣島は台湾のすぐ右横にあります。中国の船がウロウロしている尖閣諸島は石垣島の少し上です。

飛行機が石垣島の空港に着陸する少し前に、何秒か雲の間に太陽が見えました。これっきりでした。夕方、ホテルに着いたあと、海辺を散歩した時は、濃い灰色の雲が低く垂れこめていました。2日目はほとんど雨でした。3日目は夕方までは雨が降らず、時折、空が明るくなることがありました。4日目、ホテルを出発して空港に着くまで、土砂降りの雨でした。帰りの那覇空港に着いた時、ニュースで「沖縄地方が梅雨入り」と報道していました。石垣島は沖縄本島から400km以上離れています。石垣島の梅雨入りはもっと早かったのではないかと思いました。
石垣島にいる間(5月1日4日)、「天気が良かったら、ここはもっときれいだったろうに」と何度か思いました。澄んだ青い空に、どこまでも透き通ったエメラルドグリーンの海とはいきませんでしたが、今回の旅行は70点くらいと感じています。楽しみは次回に残しておきます。

 
着陸前の飛行機の窓から見えた石垣島のサンゴ礁   ANAインターコンチネンタル石垣リゾート


 
石垣島鍾乳洞   琉球朝顔


 
玉取埼展望台からの景色   ハイビスカス


 
川平湾   早くも稲穂



 今年の桜 

令和4年4月 

わが家の桜は今年、3月19日に2輪花が咲きました。翌20日の昼には8輪咲いていました。21日にはざっと数えて40以上ありました。去年とは異なり、開花後あまり雨が降らず、強風が吹き荒れることもなかったので、2週間あまりゆっくり、この上品で美しい花を楽しむことができました。

 
3月20日   3月25日


 
3月25日   3月28日


 
4月2日   4月3日



 紅梅

令和4年2月 

毎年、開花を楽しみにしていたわが家の紅梅が、今年は一輪も咲きません。原因はわかっているのですが、これを言うと、ますますむなしくなるので言いません。
そこで、これまでに撮った紅梅の写真(湯島の白梅だけ別)を探し出しました。厳しい寒さの中、鮮やかな赤い花を付ける梅は、美しさと同時に凛々しさを感じます。
東大寺大仏殿が背景に写っている紅梅の写真は、とくに気に入っています。見学し終わって、境内から出るときに、振り返ってパチッと撮りました。このページでは小さくてわかりにくいかもしれませんが、プロ並みと自画自賛しています。私が撮りました。しかし、このホームページの写真のほとんどが家内の撮った写真です。


 
わが家の紅梅(2017.2.17)   なだ万 本店 山茶花荘(ホテルニューオータニ東京 2020.2.8)


 
山王日枝神社(東京 赤坂 2019.2.10)   北野天満宮の御神木「飛梅」(京都 2020.2.23)


 
天龍寺 多宝殿前のしだれ梅(京都 2020.2.23)   石庭で知られる龍安寺(京都 2020.2.23)


 
東大寺大仏殿(2020.3.23)   湯島天神の白梅(東京 湯島 2015.2.11)



 恒例の年末風景 2021

令和3年12月 

今年も、コロナに始まりコロナで終わった1年でした。昨年は大晦日に当番医が当たっていたので、年末はずっと重たい気分でした。職員もそうだったと思います。今年は12月29日の昼過ぎまで診療をして、仕事納めとしました。くじ引き大会をして、お寿司を食べて、大掃除をしました。
1年、お疲れさまでした。

 
くじ引き大会   当たり(一等、二等、三等賞)


 
盛り上がりました   院内の大掃除


 
 


 
  最後に集合写真



 今年の一番の美味  

令和3年12月 

純和風の広い畳の部屋から眼下に七尾湾能登島が見えました。広縁(ひろえん)のダイニング・テーブルに座ると、東の富山湾の方角から薄い色の丸い月(旧暦 6月13日)が上がってきていました。日が長い時期ですので、なかなか暗くなりません。泊まったのは、石川県七尾市(能登半島)にある和倉温泉の『加賀屋』。「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」において39回も総合第1位に選ばれた老舗旅館です。そこで、海の幸・山の幸が満載の料理をいただきました。とくに能登の海で水揚げされた新鮮な魚介類は最高でした。
翌日、JRの観光列車『花嫁のれん』に乗って、金沢に向かいました。兼六園金沢城公園をゆっくり散策した後、市内を流れる浅野川(別名:女川)の河畔の居酒屋に入りました。地元食材や郷土料理を満喫しました。中でも、この時期が旬の岩ガキ(能登の岩牡蠣)が良かったです。シンプルにレモンだけかけて食べました。汗をかいた後だけに、すごく美味しく感じました。

 
能登 和倉温泉の加賀屋さん   海の幸、山の幸が満載の夕食(7月22日)


 
金沢の浅野川河畔の居酒屋さん  
  旬の岩ガキ(7月23日)



 味、数とも過去最高(今年のみかん) 

令和3年11月 

今年はおいしいみかんが取れました。自分としてはとても満足しています。今、毎日2、3個食べています。勤労感謝の日には、家、医院の神棚にこのみかんをお供えしました。
収穫数も過去最高でした。65個くらい取れました。うちの蜜柑の木は植えてから12年が経ち、大きくなりました。こちらが弱ってきているので、「来年もがんばってくれよ」という気持ちです。


 
 


 
 


 
 



 今年の1枚 

令和3年11月 

日本海に面して、小さい田んぼが段々になって海岸まで続いていました。天気も快晴、絶景でした。時は7月22日、東京オリンピックの開会式の前日でした。サッカーとソフトボールの予選が始まっていました。場所は能登半島の輪島からさらに奥に行った白米(しろよね)千枚田と呼ばれる所です。日本ならではの美しい風景です。
のと里山空港に降り、初めに輪島の朝市に行きました。40数年ぶりでした。そこから能登半島の上半分(奥能登)を時計回りに観光しました。タクシーの運転手さんからもらった能登周遊イラストマップには、「能登の里山里海にはどこか懐かしく、心が温かくなる『日本のこころの原風景』がたくさん残っている」と書かれてありました。その通りでした。
その日は宿泊する和倉温泉(七尾市)まで行きました。


千枚田 (石川県輪島市白米町 7月22日正午前)


 七夕

令和3年7月 

七夕の笹(ささ)を新調しました。前の笹と飾りが古くなったのと、見た目にしょぼかったので何年か前から気になっていました。コロナ禍で暗い世相の時こそ、せめて院内くらいは明るくしたいと思います。

 
 


 
 


 
 



 4月 ー桜が散ってもー

令和3年4月 

今年、いつもの年より早く咲いた庭の桜は、ほぼ満開に近かった3月27日(土)の夜から28日(日)の雨と、次の週の4月4日(日)の雨で、多くの花が散ってしまいました。週末にゆっくり桜を楽しむことができませんでした。気落ちしていたところに、下の写真のような春の花々が、これらも例年より早く咲いて、元気をくれました。

 
散った桜の上にスズランの芽(4月2日)   10日頃から次々に花が咲いていきました(4月15日)


 
モッコウバラは3月末に咲き始めました(4月2日)   4月初めには花のアーチができました(4月7日)


 
やまぶき(4月2日)   (4月15日)


 
みかんの木に蕾がたくさん付きました(4月18日)   みかんの花(4月27日)



 今年の桜

令和3年3月 

うちの桜は、今年は3月17日に1輪開花し、翌18日に5輪咲きました。近年、桜の開花が早い年が多いです。私らが子どもの時分は、満開の桜の中の入学式、新学期のスタートでした。しかし今は、桜は卒業式のイメージに変わってきました。桜が早く咲きすぎて、桜の散る中のお別れというのは何か切ない。桜はやはり明るいイメージであってほしい。

 
3月17日   3月22日


 
3月23日   3月23日


 
3月25日   3月27日(ほぼ満開)



 年明けの大掃除

令和3年1月 

昨年の大晦日(2020年12月31日)は小児休日当番医でした。最後の最後まで「今年も終わった」という気持ちにはなれなかったです。帰省してくる人らの新型コロナウイルスのことも気になりました。結果的には、コロナの患者さんは来ませんでした。
毎年年末にする大掃除は「どうせ汚れるし・・」ということで、年明けに延期しました。それが終わり、やれやれというところです。年末年始の休日当番医は、職員一同、生活のリズムが乱れます。

 
 


 
 


 
 



 晩秋の伊予路

令和2年11月 

11月の「勤労感謝の日」の連休に、仙台からお客さんが来ました。私と家内で県内を案内しました。松山、今治、島しょ部(大島、伯方島)、旧の周桑地区(壬生川、丹原)、東温市重信町などに行きました。家内は20日(金)から松山へ、私は21日(土)の診療が終わってから今治に向かい、二人と合流しました。22日(日)の夕方から夜にかけて少し雨が降りましたが、この間天気には恵まれました。とくに21日は年に何回あるかと思うきれいな青空でした。
ふだんの1週間私は、医院と家のフェンスより外に一歩も出ないことが多いです。今回は案内する側でしたが、自分が楽しめました。主な訪問地を訪れた順に紹介します。ぜひ、行ってみてください。萬翠荘、坂の上の雲ミュージアム、松山城、JR予讃線(松山ー今治)、しまなみ海道、よしうみバラ公園、能島城跡(村上水軍)、海峡レストラン ボヌール ブッソール、今治国際ホテル、来島海峡サービスエリア、亀老山展望公園、道の駅 伯方S・Cパーク、周ちゃん広場(JA周桑)、大和屋別荘、道後温泉、花き総合指導センター、クールスモールなど。

 
松山城(11月21日)   よしうみバラ公園(21日)


 
来島海峡(亀老山からの眺め)(22日)   瀬戸内料理「千年松」(吉海町) (22日)


 
大和屋別荘の夕食(22日)   道後温泉(23日)



 上越から日光まで 

令和2年9月 

NHK大河ドラマの中で私の記憶に残っている最も古い作品は『天と地と』です。主人公は上杉謙信でした。若き日の石坂浩二さんが演じた謙信の姿は、今でも思い出せます。謙信公の居城であった春日山城には随分前から行ってみたいと思っていました。それが今回の唯一の旅の目的でした。ところが、例によって予想していなかった場所に行けて、素晴らしい景色を見ることができました。

第一線を退いたとは言え、さすがは元プロのドライバー(タクシー、観光バス)です。広い範囲で土地勘があり、知らない所でも方向音痴にならない。昔から長距離を運転しても、疲れたり肩が凝ったりしないそうです。「(越後湯沢から)1日に成田空港まで2回往復したことがある」と語っていました。旅の1日目の上越市からの帰りの車の中で、私が群馬県の沼田の河岸段丘の話を出したら、「よし、明日行こう」ということになりました。そして、「せっかくだから日光まで行っちゃおう」と。本当にいろいろな所に連れて行ってもらいました。その一部を下に紹介しています。500kmくらい走ったそうです。

 
春日山城跡(新潟県上越市)。中世の山城。   上杉謙信公の銅像


 
直江津港。佐渡行フェリーが出ています。「安寿と厨子王」
の別れの舞台となった所。
  越後湯沢のホテルの売店で買ったビール。


 
あたり一面、こんにゃく畑(群馬県沼田市)   白根山、菅沼、金精峠を越えて日光国立公園の戦場ヶ原へ。標高1394m。


 
中禅寺湖と男体山(栃木県)   日光東照宮 陽明門(国宝)



 開院記念日(11回目)

令和2年8月 

当院は2009年8月8日に開院しました。今年の8月8日と同じ土曜日でした。しかし、その日大洲では小雨が降っていました。その日のことは今でもよく覚えています。
梅雨明けから猛暑が続いています。今、お盆を迎えていますが、これまでほとんど雨は降っていません。もう、なるべく使いたくない言葉ですが、暑いです。毎日のように最高気温が35℃を越えています。生命にかかわる暑さです。草や木も雨を待っていると思います。
今日も一面青空、太陽がじりじりと照り付けています。ふと思いました。夏の空ってこんなだったかな。入道雲がない。夕立が来ない。この夏、虹を見てない。こんなに暑く、雨が降らないのも異常気象なのだろうか。

 
当院スタッフ   よつば薬局さんも一緒


 
  当院から見た青空と神南山(8月15日)



 29年ぶりの山形(2)

令和2年7月 

芭蕉と曾良は立石寺をあとにして、出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)に向かいます。奥の細道の中に「最上川乗らんと、大石田と云(いふ)所に日和を待(まつ)」とあります。そこで詠んだ句が
五月雨を あつめて早し 最上川』です。時は元禄二年六月三日(1689年7月19日)です。
その名句と季節がほぼ同じでした。芭蕉になった気分で最上川の舟下りをしました。舟を降りて、車で酒田市まで行きました。庄内平野と最上川、その向こうには日本海が見えました。雲がかかった鳥海山(ちょうかいさん)がすぐ北にありました。どっしりとしていました。山形自動車道で山形市方面に戻る途中、月山(がっさん)が見えました。7月終わりでもが残っていました。
翌日、上山市の料亭の庭であじさいと、秋の七草の一つの花を見ました。同じ所に並んで咲いていました。山形地方は梅雨がまだ明けておらず、きれいな青いあじさいをよく目にしました。

 
最上川舟下り   庄内平野と最上川


 
鳥海山   雪が残る月山


 
あじさい  



 29年ぶりの山形(1)

令和2年7月 

7月24、25日の2日間、東北の山形県に行きました。29年ぶりでした。初めて山形を訪れたときの思い出については、平成27年7月の『歳時記』で触れています。今回、山形ではあるご家族の方々に大変お世話になりました。
最上川舟下りをする前にそばをいただきました。9月になると山形では、そばの白い花が畑いっぱいに咲くそうです。古くからそば文化が根付いている所です。乗船後、船頭さんのお話や舟歌を聞きながら、鮎の塩焼きを食べました。『奥の細道』に登場する最上川の名所 白糸の滝をすぐ近くで見ることができました。
宿泊は上山(かみのやま)温泉の旅館でした。上山市はアララギ派の歌人 斎藤茂吉の出身地です。たまたまですが、3、4年前にこの市にふるさと納税をしていました。ラ・フランスが謝礼品でした。ロビーで女将から「お部屋の冷蔵庫にサクランボを入れております」と話がありました。大将錦と名のついた大きい美味しいサクランボでした。山形県は果樹王国としてよく知られています。その日の昼前には、尾花沢市の「道の駅」で特産のスイカを食べていました。
山形県羽州街道の(ナラ)下宿。江戸時代、江戸への交通路として繁栄し、参勤交代の大名行列が通った宿場です。当時の面影がしのばれる風流なお店で「こんにゃく懐石」をいただきました。味だけでなく、その「技」に驚きました。

いつの旅でもそうですが、訪れる地方の食文化に触れることで、良い思い出が残ります。

 
「芭蕉庵」の手打ちそば(最上郡戸沢村 7月24日)   遊覧船「芭蕉丸」の中で食べたアユ(7月24日)


 
サクランボ(上山温泉の旅館 7月25日)   こんにゃく懐石(羽州街道 楢下宿 7月25日)



(新型コロナがいなかった)素敵な5月

令和2年5月 

新緑の季節、風薫る季節と呼ばれる1年で最も良い季節です。個人的には、これに日が長いことも加えたいです。日の入りが日々延びていく時期はなんとなく元気が出ます。ところが、今年は「コロナ、コロナ」で心が晴れることがありませんでした。下の写真は、やっかいなウイルスがいなかった頃の、幸せな気分にしてくれる5月上旬の景色です。

 
善光寺の隣のお寺の牡丹(長野市 2015)   松代藩真田邸近くの公園のふじ(長野市松代町 2015)


 
セントラルパーク シープメドウ(ニューヨーク 2016)   セントラルパークのりす(2016)


 
草原のつくしと羊蹄山(蝦夷富士)(北海道 2017)   洞爺湖近くのたんぽぽ(北海道洞爺湖町 2017)


 
苗場山のふもとの水芭蕉(新潟県湯沢町 2018)   八海山ロープウェイ乗り場近くのカタクリの花(新潟県
南魚沼市 2018)


 
明治神宮(東京 2019)   みかんの花と蜜蜂(医院の庭 2019)



 わが家の桜 

令和2年4月 

家の桜は植えてから10年が過ぎ、風格が出てきました。幹や枝がだいぶ太くなり、たくさんの花を付けるようになりました。3月19日に1輪咲きました。今年は開花の進行がゆっくりでした。5輪咲いたのが3月24日で、満開は4月4日から6日頃でした。そのあと、雨が降るたびに花が散っていきましたが、開花から1か月後の4月19日になってもまだ花が残っていました。
新型コロナウイルス報道一色(いっしょく)の暗い世相の中、わが家の桜は例年になく長い期間、楽しませてくれました。有難かったです。

 
3月19日の夕方に一輪咲きました   4月2日


 
4月2日   4月3日


 
4月5日 4月第1週の週末に満開になりました   4月19日 開花から1か月、まだ少し花が残っていました



 お水取り 

令和2年3月 

チャールズ・チャップリン、オードリー・ヘプバーン、アラン・ドロン、マーロン・ブランドなど名だたる映画俳優、アインシュタイン、ヘレン・ケラー、リンドバーグ(飛行家)などの著名人、ケ小平、ジスカール・デスタン、ダライ・ラマなど世界各国の要人が宿泊してきた奈良ホテル。歴史と伝統のあるホテルです。1909年に建てられました。ちなみに当院は2009に開院しており、ちょうど百年違います。何十年も前から一度宿泊したかったホテルでした。
奈良ホテルに着いて、部屋まで案内してくれた係の男性が「お水取りは今日が最終日です。行かれたらいいですよ。タクシーを呼んでおきましょうか」と話してくれました。外は土砂降りの雨になっていました。その日は3時間しか寝てなかったので、昼寝をしました。迎えのタクシーが来る時間に玄関に降りていくと、タクシーに雪が積もっているように見えました。近くでよく見ると、氷の塊(あられ、ひょう)でした。運転手に「二月堂まで行くけど、この天気だから、写真を撮ったらすぐ帰ってこようと思う」と伝えました。出発してしばらくすると、雨、あられがやんできました。運転手さんが「お客さん、ぜひ見てください。年に1回のことですから。今日はお松明(おたいまつ)が短い時間でそろいますから」と何度も言ってくれました。気温は7℃。最後までいました。
奈良の東大寺二月堂で行われる修二会(しゅにえ)お水取りともいわれます。春を告げる日本の伝統行事です。本当に、行って良かった。

 
奈良ホテルの玄関(2020年3月15日、9時)   アインシュタイン博士が弾いたピアノ


 
東大寺二月堂(3月14日、16時50分)   お松明(18時35分)



 新年会 

令和2年1月 

恒例のよつば薬局さんとの新年会です。大寒の頃の寒い時期ですが、日は長くなっています。この日、外は雨でしたが、中ではいろいろな「ホットな話題」で盛り上がっていました。気がつけば5時間経っていました。

 
 


 
 


 
 



 グァム 

令和2年1月 

2020年(令和2年)、初めて国外で正月を迎えました。グァムは近いです。隣の県の高松空港を飛び立って、3時間15分くらいでグァム国際空港に着陸しました。大洲から高松空港まで休憩を取りながら車で行った時間とほぼ同じでした。年をとると、長い飛行時間は体に堪えます。今回の旅は機内での時間が短かったので、現地に着いてからが楽でした。何より、グァムはこの時期でも暖かく、気候が良かったです。着いた日と帰る日は、雲が多かったり風が強かったりしましたが、大晦日元日はきれいに晴れました。日中は30℃になりますが、そう暑くなく心地よい風が吹いていました。海で久しぶりに泳ぎました。水は冷たくなく、透き通ってきれいでいた。
グァムと日本には1時間の時差があります。グァムで日付が変わる午前0時は、日本では午後11時です。ホテルの部屋のテレビで『NHK紅白歌合戦』を見ていました。ユーミンが『ノーサイド』を歌っている時だったと思います。下からカウントダウンの大きい声が聞こえてきました。直後に、新年を祝う花火が豪快に打ち上げられました。『ゆく年くる年』が始まった時間になっても、プールサイドやビーチではにぎやかに音楽が流れ、若者たちが踊っていました。日本時間の午前0時(現地時間の午前1時)前、自分で静かにカウンドダウンをしました。
人生のカウントダウンも始まっているように思います。残り人生を考えながら生きていこうと考える今日この頃です。ちなみに、今年の大晦日は休日当番医が当たっています。

 
ホテルの部屋からの眺め   タロフォフォ滝。元日本兵の横井庄一さんが28年間
ジャングル生活をしていた所。


 
大晦日のグァムの夕暮れ   カウントダウンのあと、タモンビーチに打ち上げ
られた花火


 
元日の朝   元日のビーチ



 大掃除 

令和元年12月 

毎年恒例の大掃除です。当院では、診療日には毎朝掃除をしています。診療終了後も当番の職員らがさっと掃除をして帰っています。月に1回は清掃業者に本格的な掃除・ワックスがけをしてもらっています。
年末28日の午後3時過ぎ、外は雲一つない快晴でした。当院の東方には、西日に映える神南山が見えました。来年も良い年でありますように。

 
隅々まできれいにしていきます   器械類の清掃


 
診療区域にトイレは5か所あります   おもちゃや本もきれいに拭いています


 
エアコンのフィルターの掃除   戸棚など少し高いところを拭いています


 
午後3時過ぎ、青空のもと帰っていきました   この笑顔で来年も



 年末くじ引き大会 

令和元年12月 

12月28日(土曜日)、前日・前夜の悪天候から一転して、朝から快晴でした。今年最後の診療は、開始後の早い時間帯はやや混んだものの、ほぼ時間通りに終了しました。入院治療が必要となるような重い病気の子どもさんはいませんでした。ほっとしました。昼食・休憩後に、賞金(商品券)総額ウン万円のくじ引きを行いました。わりと盛り上がりました。

 
今年最後の診療後の昼食・休憩時間。天気も良く、ほっとしたひとときでした。   初めにあみだでくじ順をを決めて、本番です。


 
当たり(1等、2等、3等)の人ら   はずれ、残念、参加賞。



 みかん 

令和元年11月、12月 

今年も中庭のみかんの木に実がなりました。色づくのがいつもの年に比べて2週間くらい遅かったです。でも、1個1個が大きくなりました。店で買うみかんほど甘くはありませんが、十分食べられます。みかんはこの色がいいです。目立つ色で、何か良いことがあるような気にさせてくれます。
みかんの木が大きくなったのは、シルバーのおじさん(植木屋さん)のお陰です。この木は一度は枯れかけていました。家・医院を建てるとき、風水に詳しい方の勧めで、みかんの木を植えることにしました。庭の花木は造園業者にまかせていました。家の敷地の隅の方に植えられました。こんな所で大丈夫かなと思いました。案の定、何年経っても木が太くならず、そのうち実を付けなくなっていました。良かったです。シルバーさんに助けてもらって。

 
 


 
 


 
 


 
  12月8日晴天。残りの蜜柑を全部採りました。



 秋分の越後路 

令和元年9月 

一昨年、越後湯沢を訪れたのは11月の文化の日の連休でした。紅葉がきれいでした。しかし、とても寒く、近くの山に雪が降っていました。ここが『雪国』であることを実感しました。今回は秋分の日の連休に行きました。出発直前に台風17号が近づいていました。九州の西を北上し、そこから大きく右に曲がって対馬海峡付近を通って、新潟沖に向かう予想進路が出ていました。飛行機が飛ぶのか、帰って来れるのか、暴風雨で観光どころではないのでは、と心配しました。結果は、新潟(中越地方)では雨はほとんど降らず、晴れ間も見えました。最後の日は、フェーン現象で30℃まで気温が上がりました。
すっかり昵懇(じっこん)になった観光タクシーの運転手さんに、予め電話で「今度は長岡あたりまで行ってみたい」と頼みました。即「いいよ」でしたが、実際は距離がありました。湯沢町に二泊し、六日町(南魚沼市)、魚沼市、小千谷市、長岡市、十日町市などを回ってきました。文を短くするため、キーワードだけ綴っておきます。六日町盆地(魚沼盆地)、六日町出身(上杉景勝、直江兼続)、南魚沼産コシヒカリ、三国街道、錦鯉発祥の地・小千谷市、2004年中越地震、上越新幹線脱線、信濃川(千曲川)、三波春夫「船方さんよ」、機那サフラン酒、山本五十六(連合艦隊司令長官)、河井継之助、米百俵の精神、栃尾の油揚げ、上杉謙信・旗揚げの地、縄文土器、魚沼スカイライン、マイタケ等々。余談ですが、昔は全く興味がありませんでしたが、三波春夫さんの歌唱力はすごい。

 
越後湯沢の旅館   魚沼スカイラインから六日町盆地を望む


 
錦鯉発祥の地、小千谷市   「錦鯉の里」の錦鯉


 
機那サフラン酒本舗の土蔵(長岡市)   若い頃の三波春夫さんの写真


 
縄文土器の像(栃尾)   上杉謙信旗揚げの地、油揚げで有名



 10周年

令和元年8月 

当院は2009年平成21年8月8日に開院しました。今年の8月8日で10年が経ちました。「長かった」と感じる10年間でした。年々、体がしんどくなっていますが、そう弱ってはいないので、まだやれると思っています。これからもよろしくお願いします。

 
2019年8月8日   事務職員


 
2009年から勤務   「よつば薬局」の皆さん(前列)



 やっと、歓送迎会

令和元年7月 

本当だったら、もっと前に開催しているはずの会でした。その頃は職員の数が少なく、日々の仕事が大変でそれどころではありませんでした。3月末に退職した女性は、引っ越し、結婚式、新婚旅行を終えました。病気で休んでいたスタッフが復帰しました。4月、5月、6月に採用した職員は少しずつ仕事に慣れてきました。来月から産休に入る子がいます。やっと集まることができました。みんな、お店に4時間ちょっと居ました。楽しい会でした。

 
 


 
 



 ハワイ 

令和元年6、7月 

6月半ばになっても雨が降らず、庭のあじさいが早々に枯れてしまいました。その後も晴れの日が多く、水不足が懸念されていました。
当院は、6月19日から25日まで休診にしました。職員にはとても喜んでもらいました。3月以降の人手不足で、オーバーワーク気味でした。新しく入った職員も、前の職場からほとんど休むことなく、当院に来て仕事をしていました。
6月26日、過去最も遅い梅雨入りとなりました。それから1週間が経ちますが、週間天気予報を見てもこの先、晴れマークがひとつもありません。30日には大洲・八幡浜・西予に大雨洪水警報が出ました。7月に入り、九州では豪雨災害が出ています。うっとうしい、そして大洲に住む者としては怖い梅雨の時期です。
下は6月のハワイの写真です。ジューンブライドという言葉があるように、この時期はハワイ、ヨーロッパを始め乾季に入っている国が多く、日が長く心地よい気候が続きます。

 
ダイアモンドヘッドとワイキキビーチ   ワイキキビーチ


 
ノースショア   モンキーポッド(日立の樹)


 
ブルーハワイ(カクテル、シェラトン・ワイキキ)   フラダンス



 新たなスタート 

令和元年5、6月 


令和元年6月3日


この3か月間、人手不足で苦労しました。女性中心の職場ですので、結婚退職、妊娠・出産、病気での休養、親の介護のための退職など、欠員が出ることはわりとあります。今回、これらのことが短期間のうちに重なって起こりました。こういう経験は過去10年間で2度目です。
今はほっとしています。この先、このメンバーで診療をしていきます。4月以降、新しく採用した職員が4名、復帰した職員が1名います。現在、療養中の職員が1人います。

新緑が美しい季節の訪れとともに、令和の時代が動き出しました。5月1日、皇居では天皇皇后両陛下が即位の儀式に臨まれました。日本各地は祝福ムードに包まれ、お祝い一色の一日でした。 
この新しい時代の幕開けと、自分にとって最もストレスがかかる休日当番医が重なりました。看護婦不足の中、129人診ました。9割以上が初診患者さんなので、受付をする事務職員も大変でした。当院を受診した子どもさんや保護者の方々も、待ち時間が長くて大変だったでしょう。
地域の基幹病院である公立病院などが、一斉に、ひと月の3分の1にあたる10日間も外来診療をとめるようなことはしない方がいいと思う。これは一般市民の大多数の意見でもあります。



 名古屋  

令和元年4月 

平成の終わりに、尾張(おわり)名古屋に行ってきました。4月27日から30日まででしたので、本当に最後の最後でした。名古屋は20年ぶりか、それ以上でした。空港は中部国際空港でしたが、以前は名古屋空港(小牧空港)でした。名古屋市内までバスですごく時間がかかった記憶があります。
今度の名古屋訪問の主な目的は、医学会総会に出席することでした。4年に一度の大きな学会です。今回の学会の日程が決定した時点では、天皇陛下の退位は決まっていませんでした。そして、ゴールデンウィークがこんなに長くなる(10連休)とは、学会関係者は予測していませんでした。大学病院にいるときは専門性の高い学会、研究会に行っていましたが、今は専門分野が異なるその道のプロの方の話を聞くのが楽しいです。京大総長の「ゴリラに学ぶ」のお話は興味深かったです。

尾張出身の戦国武将は多いです。織田信長、豊臣秀吉、前田利家、加藤清正、福島正則、山内一豊。キリがないのでやめますが、徳川家康も岡崎(三河国)出身ですので愛知県です。
名古屋城。「尾張名古屋は城でもつ」の城です。徳川家康が作りました。金の鯱(しゃちほこ)で有名です。国宝犬山城。最終日の昼、観光タクシーのコースには入ってなかったのですが、運転手さんに一生懸命頼んだら連れて行ってくれました。「お城の近くは車が渋滞しているので、いい写真が撮れる所に連れて行ってあげますよ」確かに良い場所でした。木曽川を挟んで、岐阜県側から眺めた犬山城の景色です。小牧城。あの「小牧・長久手の戦い」の城です。犬山城への行き帰りに、高速道路から見ました。それから織田信長の居城、清州城。信長はこの城から「桶狭間の戦い」に出陣しました。途中熱田神宮で戦勝祈願をしました。熱田神宮の御神体は三種の神器の一つ草薙剣です。2日後、5月1日の皇位継承に伴う最初の儀式は「剣璽等承継の儀」でした。剣璽とは天皇家に伝わる三種の神器ののうちの剣と曲玉を指します。その剣は分身で本体はこの熱田神宮にあります。最後に桶狭間古戦場。そこに「桶狭間の戦い」に大変詳しいガイドのおじさんがいました。帰りの飛行機のことがなかったら、あと1時間でも2時間でもこのおじさんと話がしたかった。

 
第30回日本医学会総会(名古屋国際会議場)   名古屋城


 
犬山城(国宝)   小牧城


 
清州城   織田信長公 銅像


 
熱田神宮   桶狭間古戦場



 春の景色 

平成31年4月 

4月1日の昼前、新元号『令和』が発表されました。初めはぴんと来ませんでしたが、その出典、意味をあとで聞いて、素直に喜びました。
あと半月で平成が終わります。昭和30年代に生まれた私の場合、昭和という元号が64年まで続いたので、元号が変わってもそれを実感するのに、しばらく月日がかかったような気がします。「平成31年。けっこう長かったんだな」というのが今の率直な感想です。これを機に、平成の時代、自分がどう生きたか、それを少し思い出してみたいと思います。
今年もいろいろな所で春の景色を見てきました。春の花はいいです。私的な事で困ったり悩んでいても、心を和ませてくれます。今は4月の半ば、日本の春がこれで最後になるわけではないのですが、何となくふだんの年より名残惜しい。

 
3月17日 大洲市多田の畑     3月29日 ホテルニューオータニ東京の庭園


 
4月3日 自宅の満開の桜   4月3日 今年一番の桜でした(旧周桑郡 丹原町)


 
4月7日 大坂城の桜。去年は4月1日にここに来ました。
桜の開花状況も天気もその時と同じでした。
  4月12日 東大洲のれんげ畑



 赤坂界隈 

平成31年2月 

近頃は東京に行ったときは、だいたいいつもこの辺りの景色を見ています。東京に何日かいても、ここらだけしか見なかったということも多いです。20年くらい前までは、学会(所属する医学会の学術集会)会場までの近さや、羽田空港へのアクセスの良さなどで、宿泊場所を決めていました。それより前は安さだけで決めていたこともあります。
2月10日(日)東京は快晴でした。ホテルの中にいるのがもったいないような天気でした。写真1の赤坂見附交差点をまっすぐ進むと紀尾井町です。交差点を渡るとすぐに弁慶橋があります。橋の下の釣り堀では、必ず誰かが釣りをしています。そこを過ぎると清水谷です。赤坂見附の交差点を右折すると、三宅坂方面に向かいます。途中、議長公邸、自民党本部、最高裁判所があります。赤坂見附の交差点を左斜め方向(外堀通り)を進むと、四谷に出ます。左手に迎賓館が見えます。
赤坂見附交差点の手前には日枝(ひえ)神社やTBSがあります。日枝神社の石段を上がっていると、首相官邸が近くに見えます。こんなに近くていいのかなと心配するくらい、すぐそこにあります。赤坂界隈にはいろんなお店があります。おいしそうな飲食店が多いです。この日、赤坂の路地をTBS方向に歩いていると、中年の女性が「森内せんせーい」と反対側を歩く男性に手を振りました。その男性はちょこんと会釈をしました。どこかで見たことがある。あとで思い出しました。将棋の永世名人(十八世名人)資格保持者の森内俊之さんでした。

 
1) 赤坂見附交差点   2) ホテルニューオータニの日本庭園


 
3) 日枝神社の鳥居   4) 日枝神社の石段から見える内閣総理大臣官邸


 
5) TBS(放送センター)   6) 黄昏(たそがれ)時の東京タワー



 新年会 

平成31年1月 

今年はまだが降りません。天気の良い日が少ないので、暖冬という感じもしません。1月19日に新年会を開きました。二十四節気の大寒の前日でした。難しい話は一切なく、食べて飲んで、楽しくしゃべっています。いつもそうです。ただ、「今年は無事であってほしい」という気持ちがみんなに出ていました。
10年前のちょうど今頃は、当院の工事が始まったところでした。地盤改良に時間がかかりました。また、土地に土を盛り上げ、高くしました。これによって、昨年7月の豪雨災害では氾濫した水の建物への浸入だけは免れました。
英語のdecadeは10年という意味です。the past decade(この10年間)、the coming decade(来るべき10年間)というような使われ方をします。これと似たdecadenceという単語があります。衰退とか堕落という意味です。そうならないようにやっていきます。

 
 


 
  医院開設の影の立役者3人



 伊豆(伊東、熱海)ーその2ー 

平成31年1月 

25年くらい前だったでしょうか。熱海には一度行ったことがあります。小児科の国際学会があり、そのサテライトシンポジウムが熱海で開催されました。東京から貸切バスで熱海に向かいました。会場がどのホテルだったか、どこに宿泊したか覚えていません。熱海は今、再び人気が出ているそうです。
12月30日に伊東から熱海に移動しました。各駅停車の電車で30分くらいでした。熱海駅周辺はとてもにぎわっていました。旅館に向かうタクシーの中から行列ができているお店を何軒も見ました。熱海といえば、我々より上の世代の新婚旅行の街という認識でした。失礼ですが、少し時代遅れかなと。ところが、若者が大勢いました。旅館の女将やタクシーの運転手が「ここ1,2年でお客さんがすごく増えた」と話していました。活気がありました。認識不足でした。
年が明けた1月8日の昼過ぎ、食事をしながらテレビを見ていると、NHKの『旬感☆ゴトーチ』という番組をしていました。熱海が取り上げられていました。熱海にいたのがほんの10日前のことでしたので、テレビに映った景色をまだよく覚えていました。番組のサブタイトルは『熱海、人気が再燃』でした。
それから源頼朝。頼朝といえば、鎌倉をイメージしますが、熱海には頼朝ゆかりの地が多くありました。このことについては、いつか別のコーナーで述べたいと思います。平成最後の大晦日、「いいところに来た」と思いながら熱海を後にしました。

 
この家1軒が宿泊した「貴賓室」。自宅より広かった。   2階から相模湾を眺めた景色


 
家の中の露天風呂   大露天風呂「御神木の湯」。左は翡翠(ヒスイ)風呂


 
大晦日の朝6時14分。東方(相模湾の方角)の曙の空。   建ち並ぶ熱海のホテルに朝日が当たる(7時11分)。



 伊豆(伊東、熱海)ーその1ー 

平成31年1月 

昨年は12月28日に年内の診療を終えました。その翌日、29日から伊豆に旅行に出かけました。というより、29日と30日しかホテル・旅館の予約が取れなかったので、こういう日程になりました。
伊東、熱海は伊豆半島の東側にある観光地です。東京駅から「特急スーパービュー踊り子」に乗って、伊豆に向かいました。途中、進行方向の左には駿河湾、駿河灘の海が見えていました。熱海を過ぎた頃から初島伊豆大島も見えました。1時間45分ほどでJR伊東駅に到着しました。
伊東三浦按針みうらあんじん(英国名 ウイリアム・アダムス)縁(ゆかり)の地です。彼はこの地で日本で初めて洋式の帆船を建造しました。徳川家康の時代のことです。家康は、按針を旗本に取り立て、外交顧問としました。江戸日本橋に屋敷も与えました。宿泊したホテルのすぐ前にある按針メモリアルパークには、彼の銅像と彼が造った帆船「サン・ブエナ・ベントーラ号」のモニュメントがありました。
この旅行中、家内と話をしていて気がついたのですが、年末年始の休みに旅行したのは今回が初めてでした。「働き方改革」とかいっても、われわれには関係のないことのようです。公務員でもなければ、年がら年中そうそう休むことはできないです。年をとってくると、楽しみも減ってくるかもしれません。普段は質素な生活を心がけ、機会を見つけて、旅行には行きたいと思っています。

 
「スーパービュー踊り子」の車内からの景色。相模湾
の海が広がり、向こうには初島が写っています。
  星野リゾート界アンジン


 
ホテルの大浴場を出た所(サンブエナ デッキ)から夜景を
眺めました。
  ウイリアム・アダムス(三浦按針)像



 年末風景 

平成30年12月 

当院の年の終わりの風景です。毎年、年末は忙しくなります。
小児科では、のどの検査(咽頭ぬぐい液採取)、鼻の検査(鼻腔ぬぐい液採取)をよく行います。前者は溶連菌、アデノウイルス、マイコプラズマなど、後者はインフルエンザ、RSウイルス、ヒトメタニューモウイルス、百日咳などの診断のために行います。今年は、本来寒い時期の病気であるRSウイルス感染症が暑い時期にはやり、逆に暑い季節にみることが多いアデノウイルス感染症が冬になって流行しました。近隣の町では9月にインフルエンザが出ました。大洲では、12月に入ってインフルエンザが出始めましたが、小学生が主でした。
12月28日、年内の診療が終わったあと、職員全員が大掃除をしました。今年はいきなり元日が休日当番医にあたってしまい大変でした。この年末年始の当番医は年明けの診療開始後の1月6日です。みんな、ほっとして家に帰ったと思います。今年1年、お疲れ様でした。

 
27日。子どもの「のどの検査」。人手が要ります。   第2診察室


 
28日。年末の大そうじ。   水回りの清掃


 
待合室の椅子をきれいにふいています   トイレの掃除



 何はともあれ、乾杯 

平成30年10月 

先月から当院で働き始めた人、今月結婚が決まった人、ちょうどこの日が誕生日だった人。うちの職員です。そして何より、7月の豪雨災害で浸水被害を受けた「よつば調剤薬局」さんの改修工事が、1週間前に完了しました。10月最後の土曜日に宴席を設けました。13人が参加しました。久しぶりの乾杯でした。女性がメインの職場だとつくづく思いました。
今年に入って、雪が4回も積もりました。1月早々、長年、医院の掃除や我々家族の身の回りの世話をしてくれていた方が交通事故に遭い、その後復帰することなく退職されました。参加者の中には、1月に大きな手術を受けた人がいます。私は2月の健診でまたひっかかり、大腸ファイバーの検査を受ける羽目になりました。セーフでした。7月7日のあの豪雨災害、市内のいたるところで浸水被害が出ました。下の写真の中にも、自宅の床上浸水、1週間近くの断水、電気系統の故障で長くエアコンが使えなかった人らがいます。今年の夏は猛暑でした。
「もう、今年は何事もなく終わってほしい」みんなの共通の願いです。小児科の医院は年末は毎年忙しいので、次回は年明けに景気づけに新年会を開こうと考えています。


 


 



 初秋の裏磐梯(うらばんだい) 

平成30年9月 

朝の7時半に家を出て、飛行機、モノレール、新幹線、JRローカル線、送迎バスと乗り継いで、夕方5時に裏磐梯高原ホテルに到着しました。天皇皇后両陛下、皇太子ご夫妻、昭和天皇ご夫妻ら、多くの皇室の方々が泊まられている名門ホテルです。裏磐梯に行くならこのホテルと決めていました。しかし、ここ数年、行こうと思った日の予約がなかなか取れませんでした。
チェックインをしたあと、ホテルの庭に出ると、見たことのない景色が目に入りました。夕日に照らされた磐梯山(裏磐梯)、五色沼の一つ弥六湖、緑の多い庭や林、処々で紅葉が始まっていました。感動しました。2年前のNHKの番組『ブラタモリ』の中で、タモリさんが「裏磐梯はね、長年、一度は来たかったんですよ」と語っていたのを思い出しました。私も何年も前から「いつか、ここに」と思っていました。
翌日の観光タクシーの運転手さんは、本当によく車を走らせてくれました。磐梯吾妻レークライン、スカイライン、そして表磐梯猪苗代湖の方に回りました。そのあと、磐梯山ゴールドラインを通って、元の裏磐梯に戻りました。磐梯山を時計回りに1周したことになります。最後は、五色沼を一緒に散策してくれました。
お彼岸前の初秋の裏磐梯。運転手さんに「必ず、また来ます」と宣言しました。いい思い出になりました。確かに、会津磐梯山は宝の山でした。

 
磐梯山(裏磐梯)と弥六湖(9月15日)   裏磐梯高原ホテル(部屋から磐梯山が見える側)


 
紅葉が始まったばかりの木々   五色沼の一つ「るり湖」と裏磐梯(9月16日)。美しい
大自然、その景観は他では見ることができません。


 
猪苗代側から見る表磐梯と豊かな田園風景。黄金色に
輝く稲穂とそばの白い花が一面に広がっていました。
  磐梯山ゴールドラインから眺める猪苗代湖



 医院にやってくる虫たち 

平成30年8月 

夏は虫たちの季節でもあります。大洲には自然がまだ多く残っています。
早朝から夕方まで、蝶やトンボ、セミなどはよく来ています。夜は夜で、まわりが暗いせいか、うちに灯りが多いせいか、めずらしい虫が飛んで来ます。朝、自宅から医院に向かう途中、医院の玄関の前にクワガタやカブトムシがいたことが何度かありました。
いつもカメラを持っているわけではないので(写真はすべて家内が撮っています)、撮ってない虫も結構あります。カミキリムシ、コオロギ、カマキリなどもよく見ます。私は田舎育ちですので、かなりの昆虫好きです。

 
クワガタムシ   トンボ


 
アブラゼミ   クマゼミ


 
タマムシ   アゲハチョウ


 
7月7日の水害の日の夕刻。フェンスにバッタが止まって いました。周りには氾濫した臭い泥水が来ていました。   7月13日、 このカブトムシも水害の「被害者」かもしれません。角が折れ、羽に傷がありました。



 最悪の七夕 ー大洲の豪雨災害ー 

平成30年7月 

7月7日、大洲市を含む南予地方で豪雨災害が起こりました。広い範囲で大勢の方々が浸水被害に遭いました。その後、日々の診療の中でいろいろな人の話を聞きました。
お婆ちゃん(宇和)「夜中の2時頃、すごい雨音がして目が覚めた。この雨が肱川に流れる。大洲が危ないと思った」 父親(宇和)「明け方、普段だったらすぐやむひどい雨がなかなかやまなかった」 母親(野村)「朝7時前にドーンという音がして、土砂が流れ込んできた」 母親(野村)「7時頃に保育所から電話があって、ひどいことになっていることを知った」 お爺ちゃん(肱川町)「8時過ぎにものすごい水の音がした。裏山が崩れないか気が気でなかった」 母親(肱川町)「1階の天井まで水が来た。2階に避難したが、屋根上まで登らないと危ないと思った」
下の写真は、災害当日の医院の周辺の様子です。家内がスマホで撮りました。水はあっという間にやって来ました。水の流れは速く、汚い臭い泥水でした。油が浮いていました。正午頃でした。私と家内は、まだ床にある残った機械類を急いで高い場所に上げていきました。水害発生当時は写真をとる余裕はありませんでした。大洲ではいたる所で肱川氾濫しました。大惨事と言える災害でした。
その日は昼間ずっとテレビをつけていました。不思議なことに、県内でこれだけひどい災害が起こり、しかも何時間も経っているのに、よその県の災害の映像しか目にしませんでした。たまたまでしょうか。次の日になって県内の被害のニュースがまさに「洪水」のように報道されました。

 
14時 神南山の方角(東)。この4-5百m先の水害の映像はネットで配信されていました。後日、知人に見せてもらいました。被害の大きかった所です。   14時 医院の裏から冨士山(とみすやま)の方向(南)を撮ったもの。国道56号線の交差点、長浜方面に行く幹線道路が完全に水に浸かっています。


 
16時45分 当院の職員駐車場。どこからかバスケットボールが流れて来ました。ボールはすぐまたどこかへ行ってしまいました。   17時50分 医院の入り口から見た景色。駐車場に入る坂から市立図書館までずっと水があります。少しずつ水が引き始めた頃でした。


 
17時50分 医院のすぐ前の道路。氾濫が起きた昼過ぎには、ビニールハウスなどいろいろな物がここを流れて行きました。新築のお家も被害を受けたようです。   18時 自宅の玄関。家に帰ってもシャワーが使えないので、濡れて帰るわけにはいきませんでした。家に帰ったのは深夜1時頃でした。



 庭の手入れ  

平成30年6月 

今年は、5月28日に梅雨入り宣言が出ました。5月の梅雨入りは5年ぶりで、去年より23日も早いそうです。そう言えば、桜の開花も早かったです。
6月に入ってから晴天が続きました。下の写真のように、職員が庭木や草花の世話をしています。木の剪定や消毒はシルバーさんに頼んでいます。小児科のクリニックなので、中にも外にも「華」があった方がいいと思っています。

 
6月1日(金) 8時15分   2日(土) 8時40分


 
2日(土) 12時20分   3日(日、休日当番医) 11時



 再び、最後は秋田

平成30年5月 

この5月の連休中に岩手、秋田に行ってきました。これで、すべての都道府県宿泊しました。一昨年の秋に、青森から車で秋田県大館市に入りました。その時点で、全国の都道府県を訪問したことになっていました。ただ、全県での宿泊にはなっていませんでした。
岩手県盛岡から秋田新幹線「こまち」に乗り、秋田市に向かいました。のどかな風景でした。「こまち」のすぐ横を軽トラが走っていました。「上り列車すれ違いのため3分停車します」という車内アナウンスに少し驚きながらも、にんまりしました。乗っているのは秋田新幹線ではなくて、予讃線の特急「宇和海」ではないかと。
駅前の居酒屋で食べた料理はどれも美味しかったです。味噌つけたんぽきりたんぽ鍋ハタハタ比内地鶏、山菜の天ぷら、ソイの煮付けなどなど。若い店員の子に「あのう、もうかなり食べましたよね」と言われました。家内が日本酒「雪の茅舎」を絶賛していました。この人はかなりお酒がいけます。そう言えば、私の大好きな番組『日本百名居酒屋』で太田和彦さんもこのお酒を褒めていました。
秋田訪問では達成感より不思議な安堵感がありました。「これで何とか間に合った」

 
秋田新幹線こまち   JR秋田駅のプラットフォーム


 
久保田城表門   味噌つけたんぽ、純米吟醸「雪の茅舎」、
じゅんさい、いぶりがっこ



 追いかけてソメイヨシノ

平成30年3~5月 

昔『追いかけてヨコハマ』という曲があったのを思い出しました。「そんなの知っとるモンおるか」と思いながらも、気になったので調べてみました。作詞・作曲は中島みゆきさんで、歌っていたのは秋田出身のあの桜田淳子さんでした。彼女は、その後別のことで有名になってしまいました。私は高校生の時に、まだ10代だった彼女を近くで見ております。合併前の丹原町(当時は周桑郡)で『桜田淳子ショー』があり、それに行きました。当時「よくこんな所まで来てくれたものだ」と思いました。
話がちょっと遠回りしました。別に、ソメイヨシノを追いかけたわけではないのですが、この時期、この花が咲いていると、どうしてもカメラのシャッターを押してしまいます。

 
わが家の桜(3月27日)   大阪城の桜(4月1日) 


 
西予市野村町白髭の桜(4月4日)    新潟県湯沢町三国街道二居宿の桜(4月30日)


 
岩手県花巻市新鉛温泉の桜(5月4日)   岩手県雫石町鶯宿温泉の桜(5月5日)



 早い開花

平成30年3月 

3月18日(日)、庭の桜が開花しました。昼に1輪咲いているのを見つけました。夕方には5輪ほど花が開いていました。去年より12日早い開花です(写真A)。
その日の午後、大洲城に行ってみました。駐車場に車を停めて、下から歩いて桜(ソメイヨシノ)の木を1本1本見ていきました。しかし、咲いていたのはここだけでした(写真B)。
今年、全国で最も開花が早かったのは高知で、3月15日でした。2日後の17日には東京でも開花宣言がありました。1年前の3月18日、私は東京にいましたが、どこの桜も咲いていませんでした。
休眠打破』桜の開花メカニズムの一つです。冬が寒かった年のほうが早く咲く傾向があります。

 
(写真A)家の庭の桜   (写真B)大洲城の桜



 やれやれ

平成30年3月 

日が長くなった3月半ば。良い天気が続きました。写真は午後の院内の風景です。インフルエンザがピークを越え、忙しさも減り、やれやれといったところです。職員の表情にも余裕が出てきました。この暖かさのため、桜の開花が1週間早まるそうです。

 
受付   第1診察室


 
処置室   廊下


 
第2診察室   第1待合室



 寒かった冬。元気をもらいました。

平成30年2月 

今年になって4回雪が積もりました。中でも1月11,12日と2月6,7日の雪はかなりのものでした。大洲に来て13年が過ぎましたが、これほどの積雪は初めてでした。この冬を象徴するものは、当然「」なのですが、皆さん、もううんざりしておられます。
この『写真集』のコーナーでは、年が明けてから2か月、例年になく寒かったこの冬に、私が「元気をもらったもの」を並べてみました。全部食べ物ですが、私の場合、元気の源はこれらの美味しいものとうちの職員です。ちなみに、酒はほとんど飲めないので、ひれ酒は家内が飲みました。

 
兵庫県城崎(きのさき)温泉近くの津居山港でとれた松葉かに(大洲)   宇和海のなまことふぐのひれ酒(宇和島)


 
愛媛あかね和牛(今治)   菜の花、白菜、ゆばとしらこ(大洲)



 まるで雪国 

平成30年1月 

1月10日の夜、松山近郊に住むある奥様から家内に「今夜、伊予インターから大洲インターまでの高速道路が雪のため、通行止めになったようですが・・」というメールがありました。その情報を受けて、このホームページに「5日が小寒でした。来週の20日が大寒です。雪が積もるのでしょうか。野村、城川、宇和の方が雪で来られなくなるのではないかと心配です」と書きました。21時には雪は降っていませんでしたが、医院から自宅に戻る午前1時前にはすでに雪が積もっていました。
Aが翌11日朝の風景です。このままでは、患者さんの車が当院の駐車場に入ることができないので、出勤した職員が雪かきを始めました(B)。雪だるまがすぐできました。昼過ぎにはかまくらができました(C、D)。雪はその後も降り続き、翌12日はもっとすごいことになっていました。Eは家の玄関先の景色です。何もかもが雪に埋まっていました。その日の敷地内の除雪作業は前日より大変でした。一体、どこの県という感じでした。当院の女性スタッフがよくやってくれました。

 
A. 1月11日(木)7時40分。当院の朝の風景です。   B. 8時40分。当院駐車場入り口の雪かき。


 
C. 同じ頃、雪だるまができあがっていました。   D. 昼過ぎにはこんなものも。


 
E. 翌朝はもっとすごいことに。家の玄関のドアを開けたらこんな状態。何もかもが雪に埋まっていました。   F. 駐車スペースを作るため、除雪作業をしているところ。12日の朝は、患者さんは誰も来ませんでした。



 大掃除

平成29年12月 

今年は12月28日を仕事納めとしました。年によってはもっと遅い日まで診療をしますが、当院は、年明け早々元日小児休日当番医が当っています。28日昼過ぎに診療を終えたあと、職員が大掃除をしました。
当院には、医院や駐車場の清掃・花壇の世話・買い物などの雑務を担当する職員が2名いて、彼女らが毎朝きれいに掃除をしています。診療終了後は、看護師と事務員が当番を決めて、毎日診察室、待合室、トイレの掃除をしてから帰ります。また、月に1回は業者が入って、掃除・ワックスがけをしています。小さい子どもさんが来院する小児科医院ですので、清潔を保つよう心がけています。

 
水回りの清掃。   柱拭き、シンク掃除。


 
おもちゃを消毒して拭いています。   最もよく使う第1診察室を隅々まで掃除。


 
エアコンの掃除。   エアコンのフィルターをきれいにしています。



 「国境の長いトンネルを抜けると・・」

平成29年11月 

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった」

文豪 川端康成の小説『雪国』の巻頭の一節です。川端康成は1968年に、日本人初のノーベル文学賞を受賞しました。『雪国』は受賞の対象となった作品の一つで、日本近代小説屈指の名作に数えられる川端の代表作です。日本語の美しい表現、詩的な情景描写が特徴です。
『雪国』の主な舞台は越後湯沢温泉。「長いトンネル」というのは上越国境の清水トンネルで、はじめに列車が停まった「信号所」は土樽信号場(現 土樽駅)です。この小説は、湯沢町にある高半旅館かすみの間」で昭和9年の晩秋から昭和12年にかけて書かれたもので、主人公島村と芸者駒子の悲恋の物語です。湯沢の町は、昔も今も日本の大豪雪地帯です。
11月の初めで、愛媛だけでなく東京でも最高気温は20℃あった時期でした。雪国をめざして旅に出たわけではなかったのですが、国境の長いトンネルを抜けると、本当に雪国でした。

 
越後湯沢駅の近くにある小説『雪国』の。正面の山の上の方は、前日降った雪で白くなっていました。11月5日   「トンネルを抜けると」のトンネルの出口はここ、とタクシーの運転手が連れて行ってくれました。あたりに民家はなく、地元の人でないと行けないような所でした。


 
「信号所に汽車が止まった」の信号所は当時の土樽信号場で、今の土樽駅です。案内板にある「どあい」は群馬県の駅で、土樽は新潟に入って最初の駅です。   川端が滞在した湯沢町の高半旅館(現:雪国の宿 高半)の展示資料。与謝野晶子・鉄幹夫妻、北原白秋もここを訪れていました。彼らの筆が残っていました。


 
『雪国』のヒロイン駒子のモデルとなった女性、芸者 松栄(まつえ)の写真。   川端が小説『雪国』を執筆した高半旅館の「かすみの間」。当時のまま保存されていました。部屋の中に入ることができました。



 越後湯沢

平成29年11月 

11月4日午前、上越新幹線「とき」が快晴関東平野を北に進んでいました。東京駅を出るときからずっと晴れていました。朝ホテルで見たテレビの天気予報では、新潟は雨時々くもり。新幹線の中で見た家内のスマホでは、目的地越後湯沢の天気は朝から夜まで傘のマークでした。到着時刻の10数分前(まだ群馬県)になっても空は晴れていました。湯沢が雨というのは何かの間違いだろうと思いました。長いトンネルの中で、「まもなく越後湯沢に着きます」の車内放送がありました。降りると、本当に雨が降っていました。冷たい雨でした。ホテルでチェックインをして、昼前から観光に出かけました。タクシーの運転手さんが「昼だというのに、今気温は7℃ですよ。たぶん山はが降ってますよ」。翌朝、ホテルの窓から外を見ると、山の上の方が白くなっていました。

 
上越新幹線「とき」。座席のすぐ横にお笑いコンビ「浅草キッド」の玉袋筋太郎さんが、斜め前にビートきよしさんが座っていました。   越後湯沢駅西口。東京からずっと晴れていたのに、そこに着くと雨でした。冷たい雨でした。


 
清津峡(十日町市)。日本三大峡谷の一つです。清流・清津川と柱状節理の岩肌、それと赤色がきれいに入った紅葉を見ることができました。   雲洞庵(南魚沼市)。越後一の寺と言われています。大河ドラマ「天地人」の中でも出ていました。上杉景勝、直江兼続は子どもの頃、ここで学びました。


 
大源太山(湯沢町)は角張った山容から「東洋のマッターホルン」と呼ばれています。うすく雪化粧をしていました。大源太湖の周辺はきれいに紅葉していました。   三国峠近くの紅葉。辺り一面が色づいていました。


 
南魚沼産コシヒカリ2日目、湯沢から帰る際にタクシーの運転手さんが、自分の所で作ったお米を一袋くれました。これが本当においしかった。   清酒「八海山」と「笹だんご」。ともに新潟の代表的な地酒と和菓子です。



 そろそろ収穫

平成29年10月 
10月の終わりに2週連続で、週末に台風がやって来ました(台風21号、22号)。その間の2日間、快晴の日がありました。そのときの写真です。
庭のみかんがきれいに色づきました。そろそろ収穫です。皮が硬いけど、味はまあまあです。

 
 
 
 


 予防接種

平成29年10月 
近年、ワクチンの種類が随分増えてきました。しかし、これは、日本の予防接種が外国のそれにやっと追いついたというのが実際のところです。各予防接種で接種回数、接種間隔が異なり、また年齢によってワクチンの接種量が異なることがあります。当院では、全スタッフが何重にもチェックをしながら、予防接種を行っています。

 
受付で問診票の確認をします。   当院の冷蔵庫の中。いつもきちんと整理しています。

 
接種する前に、ダブルあるいはトリプルチェックを
します。
  電子カルテにワクチンの種類、ロット番号等を記録
します。


 松茸づくし

平成29年10月 
秋の味覚の王者、松茸。年1回の豪華な料理で、とても美味しかったです。帰りながら、家内と「明日から倹約しよう」と話しました。

 
 

 
 


 あきつしま

平成29年9月 
あきつしま(蜻蛉島・秋津島・秋津洲)は大和(やまと)の枕詞で、日本の古称でもあります。一方、トンボは古代秋津と呼ばれていました。このため、トンボ(蜻蛉)が日本という国そのものを表すことがあります。「・・・うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は」(万葉集)
下の写真は、四万十市トンボ自然公園で撮ったものです(9月3日)

 
 

 
 


 8回目の8月8日

平成29年8月 
当院は平成21年(2009)8月8日に開院しました。暦の上では立秋ですが、暑さはピークの頃です。

 
8年前の写真と比べると、少し年を取りました。
(自分のことです)
  開院後、若い人たちも入ってきました。

 
当院の前のよつば薬局の職員さんらも加わって、記念写真を撮りました   8月8日は火曜日で、業者さんとの面会日でした。

 
福を呼びそうな笑顔です。   スタッフ全員が院長より年下です。いつまでもここで働いてほしいと思っています。


 地方の喫茶店、スナック

平成29年7月 
旅行で地方の街のホテルに泊まり、翌朝近くを散策すると、静けさの中スナックや喫茶店の看板が目に入ります。味のあるネーミングで楽しませてくれます。見た目と名前のアンバランスににんまりします。どんな方がどういう気持ちで、その名を考えられたのか、いつも興味が湧きます。

 
ホワイトハウス ふつうの意味では、アメリカ大統領が居住し執務を行うところです。   呑みすぎ謙信 新潟県のお店です。ネーミングとしては最高傑作と思います。

 
裕次郎  昭和を代表するあの映画俳優の名です   パラダイス 中は楽園なのでしょう。

 
エンデバー J.F.ケネディーの好きな言葉でした。宇宙飛行船スペースシャトルにもこの名がありました。   ユナイテッド イギリスが好きなのでしょうか。イギリスはUK(ユナイテッド・キングダム)と略されます。


 七夕

平成29年7月 
7月4日(火)に台風3号が宇和島に上陸し、すぐ近くを通っていきました。例年七夕の時期は天気の悪い日が続きます。今年も、福岡、大分では豪雨による大きな被害が出ました。当院では毎年、七夕の飾りを出しています。お母様方、子どもさんらにも、短冊に願い事を書いてもらいました。

 
 
 
 
 
 


 「梅雨入り」後も、好天続き

平成29年6月 
今年は6月7日に、「四国から関東甲信で梅雨入したとみられる」と各気象台が発表しました。しかし、この発表が早すぎたのではないかと思うくらい、その後良い天気が続きました。

 
アマリリス(大洲市黒木 6月9日)   晴天下のあじさい(市内梅川 6月18日)

 
ストロベリー・ムーン。空の低い位置に少し小さく見える満月でした。(医院の庭から 6月9日)   びわ。「おいしそう。早く取って食べたらいいのに」と思いました。(市内柴 6月14日)


追加)今年も森本武彦先生(現 南愛媛病院 南愛媛療育センター)に来ていただきました。『発達障害の理解と対応』の講演を拝聴しました(6月3日)。
 
 


 初夏の道南

平成29年5月 
これまで北海道にはおそらく10回は行っていると思います。仕事(学術会議への参加)で行ったのは札幌と函館です。家族で3回道東を旅行しました。今年、連休を利用して、訪れたことのなかった道南の洞爺湖周辺に行ってきました。がほぼ満開、道端や牧場にはつくしがびっしり生えていました。ふきのとうや、まだ背の低いふきもよく目にしました。見える景色は春真っ只中でした。しかし、5月3日、4日と北海道は高気圧に広く覆われ、道内各地で25℃以上の夏日になりました。30℃を越えた所もありました。気温は「北国の春」ならぬ北国の夏でした。

 
特急スーパー北斗(5月3日)。新千歳空港から約1時間半でJR洞爺駅に着きました。桜がきれいに咲いていました。8分咲きくらいでした。   夕日に映える洞爺湖。カルデラ湖で、中央に4つの島から成る「中島」が浮かんでいます。18時25分頃の景色です。

 
羊蹄山。標高が1898m、完全な円錐形で蝦夷富士(えぞふじ)とも称されます。手前の牧場にはつくし、たんぽぽ、フキがたくさん生えていました(5月4日)。   ザ・ウインザーホテル洞爺。標高625mの山頂に建っています。2008年7月に北海道洞爺湖サミットが開催されたところです。出席した首脳の記念写真には、ドイツのメルケル首相が写っていました。この人の政権は長い。川平慈英と区別が付きにくい(怒られそう)ロシアの現首相メドベージェフは当時大統領でした。


 モッコウバラ

平成29年5月 
今年、モッコウバラがきれいに咲きました。そのバラの花と当院の華々(職員)です。

 
若い   グッド

 
名古屋出身   五十崎出身

 
子育ての最中   病気知らず

 
早寝早起き   庭の手入れをよくしてくれます


 ポール・マッカートニー コンサート

平成29年4月 

(東京ドーム 4月29日)
開演直前になっての突然のコンサート中止(国立競技場 2014年5月17日)。ポールの急病が原因でした。あの悪夢のような「出来事」から3年が経ちました。今思えば、自分にとって、あの年の運勢はここ10年くらいで最悪だったと思います。今年、行ってまいりました。


会場の東京ドームは満員の観客で埋まっていました。開演時刻を20分過ぎてもステージに動きがなく、「まさか、また」と不安がよぎりました。突然、大きなスクリーンにポールのベースギターが映し出されました。ビートルズ初期の大ヒット曲「A Hard Day's Night」でコンサートがスタートしました。

 
ポールは2時間40分一度も休むことなく、39曲を歌い続けました。ギターを持った立ち姿も声も昔のままでした。考えてみれば、私は中学生の頃からこれまで、彼の声を1か月以上聞かなかったことはないです。ウイングス時代の「Jet」「Band on the Run」の前奏が流れ出した時は鳥肌が立ちました。「ジョージに捧げる」と語って「Something」を歌いはじめ、スクリーンに当時のポールとジョージ・ハリソンのツーショット写真が映し出された時は涙が出そうになりました。


 同期の桜

平成29年4月 

 (院内 第1待合室 4月12日)
国立病院機構 福山医療センター耳鼻咽喉科診療部長 兼 頭頚部腫瘍センター長 中谷宏章先生の講演『小児の耳鼻咽喉科疾患』中谷先生とは大学の同期です。同じ下宿に住んでいました。

 
中谷先生は研修医のときに高知医大に転勤し、2年間の米国留学を経て、同大耳鼻咽喉科講師、助教授に就任しました。その後、平成21年から栃木県立がんセンター、平成26年4月から現職に就いています。



豊富な知識と臨床経験に基づいた講演を聞くことができました。正直なところ、近頃、耳鼻科の診療で首をかしげるケースがわりとあります。彼の講義を聞いていると、これが本来の耳鼻咽喉科の診療だと思いました。講演中、いくつか動画も見せていただきました。何より、私にとっては「なつかしい」顔と声でした。


 ゆっくり咲いた桜

平成29年4月 

(わが家の桜 3月30日)
うちの庭の桜の開花は3月30日でした。この日、松山で開花宣言がありました。4月に入っても開花はゆっくりしたペースでした。

(広見町近永 4月9日)
満開の桜でした。この日は私の誕生日でした。

(野村町白髭 4月15日)
4月の半ばになっても、これくらい桜の花が残っている所がありました。


 桜はまだかいな

平成29年3月 
今年は桜の開花が遅れました。3月26日(日)から大洲城に3度通いましたが、桜は咲いていませんでした。うちの庭の桜の開花は3月30日の午後でした。松山の開花宣言も3月30日でした。4月1日現在、このあたりの桜はまだほとんど咲いていません。入学式頃に満開になるでしょう。

(大洲城 3月26日)
大洲城内の散歩道脇のすみれ。

(肱川 3月26日)
大洲城の横を流れる肱川にサギがたくさんいます。餌の魚を捕っていました。

(東大洲 3月29日)
田んぼ一面に無数のつくしが生えていました。


 二人目

平成29年2月 
 (当院 処置室 2月15日)
予定日は1か月先です。一人目の子どもさんも当院に来てから生まれました。地元出身の夫婦が地元で2人の子どもを育てる。多くの夫婦がこうできれば、少子化は進まないのですが。

 (同上)
仕事は今日までです。最後まで元気に働いてくれました。


 新年

平成29年1月 
年末年始は穏やかな天気が続きました。1月7日(土)の夕方から9日(成人の日)まで東京に行ってきました。

 (羽田空港 1月9日)
鶴と富士山は縁起の良いものです。新年の絵にはよく使われます。写真の左、JALの飛行機の尾翼に赤い鶴のマーク(鶴丸)、右端の建物のすぐ上に富士山が写っています。この日は大安でした。


   (歌舞伎座正面 1月8日)           (桟敷席入り口)
新しい歌舞伎座ができてから初めての歌舞伎見物でした。家内がインターネットで桟敷席を取るという大金星をあげました。しかも、花道側の西桟敷席でした。ここはめったに取れる席ではありません。松本幸四郎と坂東玉三郎。当代きっての役者の名演技に感動しました。


  (元赤坂の迎賓館 1月8日)            (迎賓館の正面玄関)
左の写真の下の建物は、宿泊していたホテルニューオータニの部屋の窓から見えた迎賓館です。朝、その敷地内を人が歩いている姿が見えました。警備の人かなと思いましたが、時間とともに人の数が増えていきました。迎賓館の見学ができるようになったというニュースを思い出し、行ってみました。迎賓館の建物の中にも入れました。館内は撮影禁止でしたが、実に豪華な作りでした。


 小春日和

平成28年12月 
初冬の晴れた土曜、日曜の写真です。

 (鬼北町川上 12月10日)
夏の写真を出してきたわけではありません。現在の南半球の写真でもありません。土曜日の診療後、天気が良いので山の方にドライブに出かけました。城川町、日吉村を越えて、四万十川支流の広見川を左手に見ながら国道320号線を下っている途中、こんなひまわり畑がありました。

 (大洲市白滝 12月11日)
双海シーサイド公園から帰る途中、車のすぐ横に『伊予灘ものがたり』が現れました。カメラを向けると、乗客や車掌さんが窓を開けて手を振っていました。「寒くないのかな」

 (大洲市五郎)
とくに意識して伴走していたわけではなかったのですが、暖かい日差しを浴びたこの列車は、五郎駅あたりまでずっと近くを走っていました。
 (肱川の鉄橋と大洲城)
五郎の河川敷あたりで列車は見えなくなりました。「もしかしたら」と思いつき、赤橋まで引き返しこのポイントに急ぎ行ってみました。鉄橋の上で『伊予灘ものがたり』が停車していました。


 薬剤師と歓談

平成28年12月 

 (看護婦休憩室 12月7日)
水曜日は午後が休診です。午前の診療が終わったあと、よつば薬局の武智、二宮薬剤師と、昼食を摂りながら歓談しました。今年もあと1ヵ月を切りましたが、小児科は年末は忙しくなります。
小児科で処方する薬は、シロップ、粉薬、錠剤、坐薬、吸入液など種類が多いです。年齢・体重によって量も大きく異なります。処方した薬に、薬剤師のダブルチェックがかかることはとても大切なことと考えています。


 トランプ、クリントンを破る(米大統領選)

平成28年11月 
アメリカ大統領選挙が11月8日、全米各地で投開票が行われ、実業家で公職経験のない異色の共和党候補ドナルド・トランプ氏が民主党のヒラリー・クリントン前国務長官を破り、次期大統領に就任することが決まりました。当初の大方の予想を覆した勝利でした。ある意味、マスコミの敗北とも言える選挙だったと思います。
私と家内は、今年、4月の終わりから約1週間ニューヨークに行っていました。下の写真はその時撮影したものです。ジョン・F・ケネディ空港に迎えに来てくれた日本人ドライバーが、「トランプが勝つ」と言うので、これらの写真を撮っていました。当時トランプ氏は、まだ共和党予備選を戦っている最中で、彼が本選で勝利すると予想している人はあまりいませんでした。


(マンハッタン 5番街のトランプタワー)   (トランプタワーの隣はティファニー本店)
ここの最上階が彼の住まいです。選挙後、反トランプの人々がデモをしていたのはこのあたりです。11月17日のトランプ(次期大統領)・安倍(首相)会談はここで行われました。

(コロンバス・サークルの前のトランプタワー)
ニューヨーク・ヤンキースで活躍した松井秀喜選手が独身時代ここに住んでいたと、ガイドさんが話していました。写真の右手はセントラルパークです。上の5番街のトランプタワーは、地図でいうと、セントラルパークの右下隅の近く、この写真のタワーは左下隅近くに建っています。

(ウォール街のトランプ・ビルディング)
初代大統領ジョージ・ワシントンが大統領就任宣言をした地を記念するフェデラル・ホールやニューヨーク証券取引所がすぐ近くにあります。


 みかん

平成28年11月 

(当院 中庭 10月26日)
もう少しで収穫です。

(当院 中庭 11月7日)
11月7日は立冬でした。大安の日でもありました。この写真を撮った昼休憩の頃は、雲一つない快晴でした。今年は蜜柑が大きく実りました。

(当院 花壇 11月7日)
この日、蜜柑を採りました。


 最後の県は秋田

平成28年10月 
(秋田県大館市 JR大館駅前 10月9日)
朝、青森駅前でレンタカーを借りて、東北自動車道に乗り、津軽平野の東端を南下しました。カーナビの指示に従って、県境の碇(いかり)ヶ関インターで高速を降り、国道7号線で秋田県に入りました。これで、私は日本全国すべての都道府県に行ったことになりました。ちなみに、この駅の前には「忠犬ハチ公像」が建っていました。大館市は秋田犬のハチ公の生まれ故郷でした。

(きりたんぽまつり  大館樹海ドーム)
大館駅前で偶然、レンタカーの営業所を見つけました。そこの女性職員に勧められて、駅からシャトルバスで『きりたんぽまつり』会場に向かいました。乗ったバスもぎゅうぎゅう詰め状態で、会場のドームの中も満員、外にも大勢の人がいて大盛況でした。当然、きりたんぽを食べました。

(りんご園  青森県大鰐温泉 10月9日)
夕方、青森県に戻りました。宿泊地は南津軽地方の大鰐温泉「星野リゾート 界 津軽」でした。途中、雨が降っている時間帯もありましたが、着いた頃は晴れていました。赤く色づいたりんごがたわわに実っていました。生まれも育ちも愛媛の私にとっては、見たことのない美しい景色でした。


 新しいメンバー2人を迎えて

平成28年9月 
 (当院 受付 9月7日)
2名のスタッフが加わりました。

 (第1待合室 9月7日)
現在、職員11名と、私と家内の計13名が働いています。


 開院7周年 記念講演

平成28年8月 

 (院内 第1待合室 8月20日)
当院は平成21年8月8日に開院しました。去年の開院記念日には、知人のJR松山駅の須之内駅長に講演をしてもらいました。今年は 市立宇和島病院 副院長診療部長の林正俊先生が 『地域の子どもたちのために大洲ななほしクリニック開設7周年の記念にー』という演題で講演をしてくれました。


当院とよつば薬局の職員、それと外部からの参加者が聴講しました。林先生らしい格調の高いご講演でした。ありがたく思いました。先生は私の先輩で、研究分野は違いましたが、昔、大学の研究室で毎晩夜遅くまでご一緒させてもらいました。


 私の夏休み

平成28年8月 

(ニューオータニ 屋外プール 8月14日)
古来、日本にはお盆という風習があります。今でも田舎ほどその良き風習が残っています。そうである以上、当院の10名の職員にもお盆休みを与えないといけません。仕事柄、3連休などめったになく、2日続けての休みも年に何回かしかない。私ら夫婦は、子どもに会うため東京へ向かいました。

(靖国神社 8月14日)
ホテルから近いので行ってみました。終戦の日の前日です。実に静かな所です。ここに来る人たちは皆礼儀正しい。鳥居をくぐるとき、若者も子どもも一礼をします。拝殿の前では深々と頭を下げる。一昔前、国賊みたいなあの新聞社が騒ぎ立てるまでは、終戦の日も静かだったでしょうに。

(ジャズバー 世田谷区経堂 8月14日)
自分には似つかわしくない所ですが、夜、世田谷のジャズバーに行きました。中学・高校の時、「こういう暗い所は不良が行くところなので絶対に入るな」と親や教師に言われていました。健康的で善良な若者たちが音楽を楽しんでいました。こちらもハッピーな気分になりました。


 七夕

平成28年7月 

 (院内 第1待合室 7月15日)
短冊には、私を含めた職員と、当院に来られる子どもさんや保護者の方の慎ましやかな願い事が書かれていました。

 (同 7月27日)


 勉強会「発達障害」

平成28年7月 

 (院内 第1待合室 7月30日)
愛媛県立子ども療育センター 所長 森本武彦先生の講演『発達障害の理解と対応』。森本先生はこの分野の第一人者です。私自身、良い勉強になりました。

 
同センターには「発達障害者支援センター」の機能も備わっています。当院と薬局の職員、および他の職種の人たち(保育士、養護教諭ら)も聴講しました。


 女性の職場

平成28年6月 
 (当院 処置室 6月14日)
小児科は人手が要ります。採血一つをとっても、3~4人ですることが多いです。

 (看護婦休憩室・会議室 6月28日)
ミーティング。当院はこれらの女性が居てこその職場です。


「再び幸せが訪れる」

平成28年4月 

 (家の 4月17日)
うちの庭にすずらんが咲きました。家を建てた時、植木屋さんが梅と桜の木の下に植えてくれました。それ以来、毎年咲いています。桜が散ったあとにこの花が出てくると、気持ちがまた明るくなります。すずらんの花言葉は「再び幸せが訪れる」だそうです。地震の被害に遭われた熊本の人々に、心よりお見舞いを申し上げます。


 菜の花畑

平成28年3月 
 (大洲市五郎 河川敷 3月20日)
大洲に来る前に住んでいた東温市重信町にも同じような菜の花畑がありました。

 
おいしい蜂蜜が取れそうです。


 院内勉強会

平成28年2月 

 (院内 第1待合室 2月27日)
愛媛大学医学部附属病院 感染制御部部長 田内久道先生の講義『院内感染勉強会 -院内環境の整備について』。ためになる内容をわかりやすく話していただきました。

 
当院では、これからも第一人者の先生をお呼びして、職員のレベルアップを図っていきたいと考えています。


 紅梅、白梅

平成28年2月 

 (庭の紅梅 2月7日)
一輪一輪咲いていく、この頃が一番いいです。楽しみです。

 (今治市吉海町 畑の白梅 2月11日)
島の畑の隅に5本梅の木がありました。風はまだ冷たいですが、一歩一歩春が近づいています。


 一転して大寒波

平成28年1月 

休日当番日1月24日(日)午前11時すぎ)
前の日の夜から雪が降り始め、24日午前中にはこんな状況に。

(1月24日(日)18時)
午後からは一人も患者さんが来ませんでした(来れませんでした)。足跡ひとつないきれいな駐車場でした。ユーミンの歌が聞こえてきそうな感じでした。

(1月25日(月)11時前)
ふだんは患者さんが多い月曜日の午前ですが、来院患者さんは5人でした。この日もまだ断続的に雪が降っていました。驚いたことに、そう遠くないのに、松山では全く雪は降っていませんでした。


 穏やかに明けた新年

平成28年元日 

高知県黒潮町 元日)
穏やかな新年を迎えました。その天気につられて、家族で出かけました。3月上旬の陽気でした。

(高知県黒潮町入野松原 元日)
海岸で凧あげをしている子がいました。ジャンバーは着ていませんでした。


サーフィンをしている人が大勢いました。気持ち良さそうでした。


 忘年会

平成27年12月 
日本の風習の一つです。年末になると、宴会(医局、仲間、友人、家族らと)が増えます。

長浜の料亭 12月27日)
個人的には日本料理が好きです。

松山ホテル 12月19日)
私は飲めませんが、家内が飲めます。

松山フランス料理屋さん 12月16日)
カモ料理。このほか、サーモン、スズキ、エスカルゴ、牛フィレ肉などなど、美味しかったです。


 第164回 乙亥大相撲

平成27年11月 

乙亥会館の控室  11月23日)
大関 照ノ富士。身長192cm、体重179kg、大きかったです。千秋楽の翌日で、少しお疲れのようでした。

乙亥会館の控室  11月23日)
小柄な豪風関、36歳。力士としては年をとっている方ですが、本人が「レジェンドをめざす」と話していました。応援したいです。

(控室の前の通路 11月23日)
関取の控室の前で、西予市の三好市長さんと。


 面河、石鎚山

平成27年10月 
 (面河渓 10月18日)
まだ早いかなと思いながら行ってみました。紅葉は始まっていました。

 (石鎚山 天狗岳 10月18日)
石鎚スカイラインから見えた西日本最高峰の天狗岳。20年ぶりでした。天狗岳という名が付いている理由がわかる気がしました。私は、物心がつく頃からずっと、周桑平野から真南に見える石鎚山を見上げて育ちました。校歌の歌詞にも石鎚が入っていました。その「表側」から見た石鎚山は、気高く美しい姿でした。一方、この写真の「裏側」から見た石鎚山は、それとは違って厳しさを感じました。


 秋の味覚の王様

平成27年10月 
 (長浜の行きつけの料理屋さん)
本当においしいです。かおりも最高です。はい、もう言うことありません。


 10歳違い

平成27年9月 
 (当院の中庭 9月30日)
少し色づいてきた蜜柑の木の前で。この木は、去年、植え替えをしました。去年は3個でしたが、今年は30個大きな実を付けています。ところで、当院の3人のご婦人方、ちょうど10歳ずつ年齢差があります。


 開院記念日 

平成27年8月 
(院内 第1待合室  8月8日)


JR四国松山駅駅長 須之内利一氏による開院記念日の特別講演 『リスク マネージメント』。当院とよつば薬局の全職員が出席しました。8月8日で開院から6年が経ち7年目に入りました。須之内駅長は同郷の知人で、大洲、宇和島、新居浜の各駅長を経て、今年の6月に松山駅駅長に就任しました。


 結婚式

平成27年7月 
 当院からの出席者(松山市 7月19日)

 新郎・新婦(当院の看護師)を囲んで
式の2日前に台風11号が四国を縦断しました。


 あじさい

平成27年6月 
 (大洲市蔵川の道端のあじさい 6月29日)
一昔前は、週2回ここを通って市立野村病院に行っていました。


 北陸新幹線

平成27年5月 

東京駅 5月4日)
今年3月に開業した北陸新幹線「かがやき」のグランクラスに乗りました。至れり尽くせり、豪華な鉄道の旅でした。


 勉強会

平成27年4月 

 (院内 看護婦休憩室・会議室 4月8日)
外用薬についての勉強会と、実際に軟膏、クリーム、ローションを使っての塗り方の講習会


 桜 4景

平成27年3月・4月 

 (大洲城で最初に咲いた桜の花 3月22日)
この日は天気が良かったので、「もしかしたら」と思い、昼から大洲城に行きました。時間をかけて、ゆっくり、たくさんの桜の木を見て回りました。離れた所にある2本の木に、1輪ずつ咲いている桜の花を見つけました。


 (わが家の桜  3月29日)
5年経って、花の数が増えました。


 (京都 仁和寺の五重塔と御室桜 4月10日)
遅咲きの御室桜(おむろざくら)は京都の春の終わりを飾ります。


(八多喜 祇園公園の八重桜  4月15日)
今年も丘の上から美川憲一の曲が流れていました。案外、祇園さんと彼の歌は似合っているかも。


 お疲れさまでした

平成27年3月 

 (当院の中庭  3月17日)
写真向かって一番右のご婦人が、ご主人の転勤のため退職しました。平成24年6月から働いてくれました。とても感じの良かった方だけに、残念でした。


 河津桜の枝にとまったメジロ

平成27年3月 

 (南楽園  3月14日)
メジロは花の蜜を好みます。この日はいっぱいいました。 まさしく、「目白押し」でした。


 わが家の紅梅

平成27年2月 

 (自宅の庭の紅梅  2月27日)
今年は、開花は早かったのですが、例年と同じ頃まで咲いていました。春を告げる花で、良い色、良い香りで長い間楽しませてくれます。


 雪景色で明けた2015年

平成27年正月 

 (医院の周辺  1月2日))
温暖な伊予の国にはめずらしい真っ白な雪景色で明けた新年でした。


 野村乙亥大相撲

平成26年11月 

 (乙亥会館の控室  11月24日)
目の前にあの遠藤が。握手をしてもらい、サインもいただきました。遠藤関の隣は会長さん。


 スタッフ ミーティング

平成26年10月 

 (院内 看護婦休憩室・会議室  10月9日)
この時のテーマは「注意欠陥/多動性障害 (AD/HD)」。


 「自己注射の指導」のための講習会

平成26年9月 
 (院内 看護婦休憩室・会議室  9月11日)
JCRファーマ株式会社営業部 エリアマネージャー 安倍研二氏の成長障害に関する講演と成長ホルモン自己注射のの実技指導


患児、保護者の方に自己注射の仕方を教えることができるように特訓しました。みんなかなり真剣です。


 

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