コラム(2012年、2013年)



発信力不足 

平成25年11月 

「もう一言、言わんか」 テレビを観ていて、いらいらすることがある。「(尖閣列島、竹島、北方四島について)わが国固有の領土である」 「領土問題は存在しない」 何とかの一つ覚えみたいに、マイクとカメラに向かって、これしか言わない。しかも日本語である。これでは、国際社会には何のインパクトも与えないであろう。こんな紋切り型の言葉の繰り返しでは、自国民ですら「本当にそうなん」くらいにしか感じないのではないか。
もう一言、せめてあと10秒か20秒くらいの短いフレーズを付け足して、少しは、なるほどと思わせるようなコメントにできないものか。「19○○年までは日本人がちゃんと住んでいた」 「○○時代から日本が統治していた」とか。それと、世界にメッセージを発するときは、英語でしゃべってよと思う。

日本人の発信下手は以前から指摘されている。個人個人も直していかないといけないだろうが、政治家、官僚の発信下手は国益を害する。日本の主権と領土・領海が、近隣の国(はっきりしている、中国と韓国である)から脅かされる状況が続いている。これらの国は、世界に向けて、明らかに事実と違うことを発信している。しかし、中国、韓国の領土・主権に関する主張は、日本のそれとは比べものにならないくらい国際社会に出されており、でたらめでもこれだけしつこく言い続ければ、信用されてくる。恐ろしいことである。
「靖国問題」でもそうである。戦後の歴史問題で日本の味方をしてくれる国際世論は形成されているとは言えない。日本国内で、日本語で、自分たちだけに通じる論理で話をしていてもだめだろう。「慰霊のためなんだ」 「これまでの歴史観を修正しているのではないんだ」ということを、第三国に向けて英語で発信し、世界の多くの人々に理解してもらう努力をしないといけない。
中韓両国は英語のみならず多様な言語を使って、国際世論を味方にしようとしている。発信量が圧倒的に多く、日本が完全に押されている。昨年、中国は、ニューヨークタイムズなどに「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国のものだ」と主張した全面広告を出した。韓国は、竹島を自国領と主張したパンフレットを10か国語で計35万部も製作したそうだ。残念なことに、日本の主張が書かれたいろいろな文献や論文のほとんどが、外国語では発信されてない。今の内閣は「わが国の広報、発信力が弱い」と認めており、今年度初めて国際広報予算を計上した。世界の人に、「こんな嘘つきの国の言うことなんか信用できない。日本が正しい。」と判断してくれるような力強いメッセージは、まだ出てない。「早く、みんなで、もっといっぱい、きつーいフレーズをかましたって」と思うのだが。



働く女性と子どもの病気

平成25年10月 

医療の世界に入って30年あまりになります。この分野は女性の知恵、労働力、技術に負うところが大です。女性職員の重要性は身をもってわかっています。それは、他の職種でも当然あるだろうと思います。

当院では10名の職員が働いてくれています。全員女性です。彼女らに加えて、家内が総務課長あるいは事務部長のような仕事をしています。景気の回復が望めそうになく、雇用も伸びず、アベノミクスはここまで及ぶのだろうかと、今なお心配するようなこの南予にあって、少ないながらもこの人数を雇用していることに、市や近隣の町に感謝して欲しいと思ったりもします。話を戻します。当院で仕事をしている男は私1人です。1日の仕事の大半を女性がしていると言っても過言ではありません。無理して女性を雇っているわけではなく、男女共同参画社会なんてものを考えてのことでもありません。当院の受付・医療事務、看護、清掃業務には、女性しか要らないというのが実状です。一般に、この地域の女性はまじめによく働き、有能な人材が多いと思います。

働く女性とくに家庭のある女性は、職場での勤務と家での仕事を両立させていかなくてはなりません。言うは易しく、実行するは難(かた)しです。家庭の方の問題で、最も厄介で、かつ頻繁に起こるのは子どもの病気だと思います。仕事をもっているお母様方は、お婆ちゃんが子どもの面倒を看てくれるような例外を除けば、ほとんどの例で子どもを保育所に預けています。保育所に入れると、当然、感染症にかかることが多くなります。母と子の二人が昼間、家の中で生活しているのとは、状況が全く異なります。保育所に行けば、カゼひきさんがいます。園長をはじめ、保母さんらも気を付けてくれているのでしょうが、どうしても病気がうつってしまいます。

保育所がなければ、事業所は女性の職員が不足します。場合によっては、業務ができなくなります。女性職員に急に休まれると、職場は困ります。子を保育所に入れないと仕事に就けない。一方で、子を保育所に入れると、病気になる回数が増え、よくこじれます。女性が働くと、一家の収入が増え家計が楽にもなるし、事業所の方も助かります。しかし、病気になった子とそれを看る母親という立場になると、とても困ってしまいます。職場の責任者も「休まないで」とは言えません。
0歳、1歳くらいの小さい子は、冬季はずっと病気が続くことがあります。子どもが病気になってなかなか治らないときには、「病院に通いながら保育所に預けるくらいなら、病院に来なくてもよいから保育所にも行かせない方が早く治る」と思うことがあります。正直なところ、小児科医の立場からは、保育所が必ずしも乳幼児にとって良い環境とは思えません。保育園児の低年齢化については、やむをえぬこととわかっていても、日々、気の毒な病児を診ているが故に、単純に賛成とはいきません。
今、待機児童ゼロ政策が子育て支援策の切り札のように言われていますが、これが実現すれば四方八方良くなるというものでは決してないと思います。



夏休みくらいもっと自由に

平成25年8月 

夏休みは長い。これは、安気に暮らしている大学生(当然、例外はあるが)くらいのもので、夏休みでも学校に行っている、いや行かされている小学生、中学生、高校生は多い。親御さんが働いているための学童保育などはやむをえないことで、休み中の飼育当番、草花への水遣りもある程度仕方がない。しかし、出校日、補習、部活などはそんなに必要だろうか。とくに部活はやらせ過ぎと思うほどである。生徒のためというより、担当の教諭の見栄と意地でやっているような部活もある。

人間誰しも、勝負どころがあって必死で頑張らないといけない時がある。しかしその一方で、誰にも何にも束縛されずに自由にすごせる日々も大切である。子どもでもそうだと思う。なにも予定が入っていない日だからこそできることがある。名作といわれる映画を観るのもよし、メールではなく友達と顔を合わせていろいろな話をするのもよし、どこかに出かけるのもよし、ただ一人でぼんやりするのもよし。親子でゆっくり話をする機会があるかもしれない。自分の生き方についてじっくり考えることができるかもしれない。活字離れが進む子どもらでも本を読むかもしれない。

生徒には年休、代休などはなく、学期中に自由に休みを取れるような制度にはなってない。だからこそ、長期休暇の自由時間は大切にすべきと考える。学校は子どもの教育上重要な所である。しかし、学校に来させることイコール良いことと思うのは、学校の驕りではないか。教員の指導なしにりっぱな選手、社会人になった人はいくらでもいる。逆に、学校に行ったためにいじめ、体罰を受け、その後不幸な人生を送ることになった人も多い。昨今の報道ばかりでなく、実際に、周りでもそういう人のことはしばしば耳にする。
夏休み中のラジオ体操などは、健康に良いなんていう理由で、半強制的に行われていました。大きなお世話だと思っていました。行きたい者が行けばよい。朝ゆっくり休むことが大事な時もある。朝ラジオ体操をしなくても、夕方ジョギングをするのでもよいではないか。勉強は、朝の涼しい時にしても、夜に頑張ってやっても構わないだろう。何かにつけ、大人の勝手な尺度、基準に、子どもを合わせようとし過ぎているようで気になる。

学校だけではない。学習塾、英会話スクール、習字、ピアノ、バレエ、ダンス、スイミング、サッカー教室、剣道、柔道などなど、一人の子がいくつもの習い事をしている。とても“long vacation”なんか取っている余裕などなさそうである。昔に比べて、今の子どもらは自由時間が少ない。「子どもの可能性を引き出す」 「子どもの将来のため」なんてことが言われているが、本当にそうだろうか。



文系のへたくその文章

平成25年8月 

「もう、わかりにくい文章」 自分を含め職員がよく言う言葉である。当院にはいろいろな所から手紙、文書がFAXや郵便で送られてくる。今回の話は、その中でも比較的大事な、省庁、県、保健所、市などの担当者、部署が出してくる文書のことである。
「1回自分でよく読んでみたらどうか」 「もっとわかりやすく書けんのかな」 「要点をぱーんと出して来いよ」と言いたくなることがしばしばある。医系官僚なんていう人もいるので一概には言えないが、これらの行政の職に付いている方々の多くはいわゆる文系の人たちと思う。文章を書いて、各施設にそれを送って、周知徹底させること、それが仕事である。大学時代は、理系の学生のように試験管を振ったり、高度な機械や動物を扱うような実験はしておらず、研究といっても部屋に籠ってひたすら書物を読んでいたのだろうから、もっと読み手にきちんと伝わる、簡潔かつ明瞭な文章が書けないといけないと思う。
ところが、実際の文書では、内容をわかりやすくするための工夫がなされておらず、逆に、読みづらい長たらしい文に、専門用語を多用して、わざと理解しにくくしているのではないかと思うことがある。また、揚げ足を取られないように、どうとでも取れるような文章にしているのもある。まずい文章なのに悦に入って書いている節があり、それに加え、上から目線で書いているので、途中で読むのをやめたくなる。
役所でもらう書類や確定申告の説明文もそうである。文章が下手すぎる。上司が文章を読んで、直さないのだろうかと思う。それか上司も下手なのか。私は、若い頃、上の先生方から投稿する学術論文や学会での発表原稿を細かくチェックされ、文章を何度も書き直したものである。
今回のタイトルはややきついかもしれない。文系の人で文章のうまい人は間違いなくいる。村上春樹、川端康成、芥川龍之介、正岡子規など著名な作家、文化人の多くが大学の文系の学部を出ている。古くは、紫式部なんかも文系だったと思う。行政の文書になると、文が変になってしまうのだろうか。一つアドバイスを。奥さんか、中学生以上の子どもさんがいたら、一度自分の書いた文章を読んでもらったらよいと思う。

「パパ、何書いてんのかわからない。」



お国自慢 −歯みがきセットー

平成25年7月 

今回は、ホテルの部屋に置いてある便利な歯みがきセットの話です。ホテルの名前が書かれてある紙の小箱やビニール袋の中に、使い捨ての歯ブラシと小さい歯みがきペーストが入って、洗面所に置かれています。どこのホテルでも用意しているというものではありませんが、今では高級ホテルでなくてもふつうのランクのホテルでも置いてあります。
今年の4月にウェスティンホテル仙台に泊まった際、そこの歯みがきセットにふと目が行きました。ペースト容器の表面に、製造販売元 愛媛県喜多郡内子町平岡甲の住所と会社名(A)が書かれてありました。「ふーん、こんな所にまで。すごいな。」と思い、家内に電話で話しました。次は、5月の連休に、東京のホテルニューオータニに宿泊した際、「まさかここでも」と思いながら、洗面所の部屋の歯みがきセットを調べてみると、驚いたことに、今度は愛媛県大洲市新谷乙の住所と会社名(B)が記載されていました。どちらも一流ホテルです。

こういう高いホテルは宿泊する部屋の多くがツインになっており、歯みがきのセットも二組置いてあります。私は、新品の物を1回限りで捨てるのはもったいないと思うたちなので、1本を数回使い、未使用のもう1本を持って帰ります。興味が湧いたので、家に帰ってから、最近持ち帰った歯みがきセットを出して来て調べてみました。すると、ホテルオークラ、ANAインターコンチネンタルホテル、ホテル東急、フォーシーズンズホテル(ホテル椿山荘東京)、ANAクラウンプラザホテル成田などりっぱなホテルの歯みがきセットが上記のA社かB社で作られていることがわかりました。感動ものでした。その後、自宅だけでなく医院の方にも置いてあるかなり古い歯みがきセットも引っ張り出して見てみました。2つだけ伊予市の会社(C)の製品がありました。いずれにしても、ホテルの歯みがきセットは愛媛のこれらA、B、C3社の製品でした。

県外の人に、愛媛と言えば、だいたいみかんと来ます。あと道後温泉、明治の俳人・歌人 正岡子規、「坂の上の雲」の秋山兄弟。去年くらいからは“バリィさん”でしょうか。南予のこの辺りとなると、県外の多くの人が知っているものや人は少ないです。われわれより上の世代、もう高齢者と言ってよい世代の人たちにだけ通用する「おはなはん」の舞台、大洲。それから、漫画家 松本零士さんの「銀河鉄道999」。松本零士さんは小学生の時大洲市新谷に疎開しており、その時代に旧国鉄内子線を走るSLの姿を見て、「銀河鉄道999」の構想を練りました。少しマニアックにはなりますが、森進一の“港町ブルース”の歌詞に出てくる八幡浜、40-50代がわりと知っている昔のテレビ番組「東京ラブストーリー」の“カンチ”の出身地が大洲でした。 

ディスポの歯みがきセットのことは、地元の一部の人は当然知っていたと思います。しかし、私がこの年になるまで知らなかったように、あまり広くは知られていないのではないでしょうか。今回、これらの歯みがきセットは、みかんや道後温泉などにも決して引けを取らない“お国自慢”だと感心しました。ふるさとに自慢できるものがあるというのは、今現在、夢に向かって頑張っている若者たちの励みにもなると思います。



川の流れのように

平成25年7月 

先日、松山で会合がありました。JR松山駅からタクシーに乗って、会場のホテルに向かう途中、ラジオから昼の時間帯にはめずらしく、美空ひばり「川の流れのように」が流れてきました。運転手がしゃべる人ではなかったので、曲をじっくり聴いていました。上手い、本当に上手い。しかし、生前、この昭和の大歌手も何かとマスコミに叩かれました。そのことによって、嫌な印象を持っていた人もいたと思います。ただ、このように昼間に静かにお堀を見ながらこの曲を聴いていると、「これほど歌のうまい歌手はいない。歌詞もメロディーもすばらしい。」とつくづく感じました。
いつだったか、かなり前ですが、この曲を作詞した秋元康氏が、「ニューヨークのイーストリバーを眺めながら作った」と話すのをラジオの番組で聞いた覚えがあります。「へー、ニューヨークだったのか」と意外に感じました。いつもの余談になりますが、以外と言えば、美空ひばりさんが亡くなったのは52歳の時でした。随分年上の人のように見えていたのですが、実際はかなり早い死でした。また、ひばりさんの身長は147cmでした。その貫禄からでしょうか、画面に映る彼女の姿はいつも堂々として大きかったです。

大洲は私のふるさとではありませんが、ここに来て9年が経ち、徐々にこの地に慣れ親しんできました。「川の流れのように」の『川』は、今ならゆったりと近くを流れる肱川をイメージします。肱川はときに怖い川になりますが、上流と下流で高低差があまりないので、ふだんは流れが緩やかです。
曲の中に「おだやかに この身をまかせていたい」という歌詞があります。『穏やかに生きる』 こうありたいと今一番思うことであります。本業にはある程度こだわりを持って、頑張ってやっていきたい。しかし、誰と競うわけでなく、誰に偉いと褒めてほしいわけでもない。たくさんの友人はいらないが、誰ともぎくしゃくした関係にはなりたくない。あれやこれやと欲しいものを作らない、買わないかわりに、あくせく働きたくない。明らかに間違ったことを言っている人に無理に迎合したり、すぐ治るような軽い病気を「また診せて」と不必要に長く引っ張ってまでして、患者数を増やしたいとも思わない。

昨日天気が良かったので、夕方、久しぶりに肱川の土手を自転車で走りました。「いーつーまーでも 青いせせらぎを聞ーきーながらーと来たもんだ」 思わず出た名調子でした。



お百姓さんと職人さん

平成25年6月 

デフレ脱却をめざす経済政策「アベノミクス」で、円高が是正され円安が進み、輸出企業をを中心に業績が改善し、個人消費も回復しつつあるという。株価は現内閣が発足してから上昇を続けていたが、近頃は乱高下している。ただ、去年までと比べれば、経済状況は良くなって来ており、閉塞感というものが吹き払われて来たように感じる。あとは、大方の労働者の賃金が上がるかどうか、この南予のような不況の地域でも経済が良くなっていくかどうかだと思う。
ここ半年の間の為替や株価の変動で、にわかに金持ちになった人も多い。正当な経済活動であることはわかっているので、その収入を得たことについてどうのこうの言うつもりはない。勉強も努力もしただろうし、センスも必要だろう。ただ、投資家と呼ばれる人たち、とくに外国人投資家、機関投資家らがやっていることはどうも好きになれない。偉いと思えない。古い考え方なのだろうが、体を動かし、汗水垂らしてやるのが仕事だと思っている。
「お百姓さんが苦労して作ってくれたご飯を残したらバチが当たる」 「お米を踏んだら目がつぶれる」 われわれの世代までの人は、家でも学校でもこう教えられて育ってきた。日本は、お百姓さんと職人さんで成り立ってきた国だと思う。私は、今でも、お百姓さんと職人さんが一番偉いと思っている。親や社会がそう考えないから、それらの職を継ぐ若者がなかなか出て来ないのではないか。
生きると言うことは食べることである。食糧難で困っている人々は世界にたくさんいる。また、収入が増え生活が楽になってくると、おいしいものを食べたくなるのが人間である。やり方を工夫すれば、農業にはこの先必ずビジネスチャンスがある。大きな輸出産業にもなり得ると思う。一方で、日本人は元来器用な民族で、有能な職人が今までたくさんいたし、今でもいる。外国人がまねできない高度な技術で、数々の良い製品、建築物を作り上げてきた。遊びとバイトにうつつを抜かし、ろくに勉強もしない大学生より、本気で農家、職人を目指している若者に奨学金を出してほしいと思う。



いやな国々

平成25年6月 

これが団地だったら、絶対に引っ越しをするだろう。住み心地というのは、家の広さ、間取り、家具など「中」のことより、まわりの環境とくに近所にどんな人たちが住んでいるかで決まる。学生時代からこれまで何度も住所を変わったが、このことは実感として持っている。
よりによって、なんでこんな所にあるのだろう。日本という国がある位置のことである。隣が韓国と中国である。その向こうには、あの北朝鮮がある。北朝鮮のピョンヤンとの距離はこのあたりからだと仙台より近い。その向こうには、北方領土を返さない“盗人猛々しい”ロシアがある。北朝鮮、ロシアとは、いくつか大きな外交問題を抱えてはいるが、そう真剣につき合っていかなくて済むかもしれない。しかし、何かと関係のある韓国と中国とはそうはいかない。この2つの国、片や暇さえあれば世界に日本の悪口を言っている国で、もう一方は暇さえあれば日本に対して嫌がらせをしてくる国である。
韓国・中央日報の論説委員は、広島、長崎への原爆投下を「神の懲罰」と書いた。原爆で亡くなった人々はバチが当たったのだ、ということである。東日本大震災で多くの日本人が命を落としたときに、「ざまあ、みやがれ」と書いたプラカードを掲げたのもこの国の人間であった。新しく就任した大統領は、わざわざオバマ米大統領の所まで行って、日本をけなした。
中国をめぐる鬱陶しいニュースは数多い。反日デモで日本の企業、店に対して破壊行為に走る。あれはデモ隊ではなく、暴徒による非道、略奪である。日本の駐中国大使の公用車を襲撃して日本国旗を持ち去った男に対して、中国当局はいつもの「愛国無罪」の世論に配慮して、“軽微な違法行為”で済ませた。中国政府は国家としての責任を放棄していると思う。国内の所得格差拡大への不満を、反日感情に振り替えている。また、日本の領海、領空を侵犯し、絶えず恫喝まがいの圧力をかけてくる。射撃レーダーを日本の艦船に照射した。これを日本以外の国にしかけたら、戦争になってもおかしくない。ただし、この大人げない愚かな振る舞いは国際社会で物笑いの種になっていることは事実である。

どこかの政党、マスコミ関係者のように「平和、平和」と念仏みたいに唱えていれば、平和が維持されるほど簡単ではないと思う。わが国の自衛隊、海上保安庁の人たち、さらにはこれらの国に派遣されている企業の人たちがどんなに苦労していることか。日本政府は、広報活動を強めて、日本の立場、主張を国際的にもっとアピールしていくべきである。
最後に一言。私が大学病院で勤務していたとき、いろいろな国から研修や研究のために来ていた外国人留学生がいた。両国からも来ていた。一緒に仕事をしたこともあるが、少なくとも、彼ら彼女らはとても礼儀正しくまじめだった。



富士山  世界遺産へ

平成25年5月 

先月、久しぶりに富士山を見ました。飛行機の中からですが、いつもの松山ー東京便ではなく、仙台発 伊丹行の便の窓からあの美しい姿を見ることができました。松山ー東京便では行きも帰りもAの座席に座ると、天気が良ければ、飛行機からかなり近い所で富士山が見えます。今回はいつもとは航路が異なるため、もっと北の群馬、長野の上空から富士山を眺めたものと思います。その日の富士山は、下部はぼんやりかすみ、雪をかぶった上の部分が浮かび上がっていました。松山ー東京便よりも遠い所から見ているため、富士山を広い視界の中で長くおそらく10分くらいは眺めていたと思います。今まで見ていた富士山より風格があり、神々しく見えました。
その富士山が、今月ユネスコ(国連 教育・科学・文化機関)の委員会で世界文化遺産に選ばれました。正式には6月に決定されるそうです。良いニュースではありますが、日本が世界に誇る美しい山、富士山なので、文化遺産ではなく自然遺産に選ばれてほしかったと、多くの方が思われたのではないでしょうか。しかし、ゴミ問題や周辺の開発が進んでいることから、自然遺産を目指すことをあきらめて、文化遺産に方向転換して立候補しました。このことが奏しました。確かに、富士山は万葉の時代から和歌に詠まれ、江戸時代には浮世絵の題材にもなり、その絵はヨーロッパに渡り芸術にも影響を与えました。また、「富士講」が庶民に広がり、信仰の対象になっていました。富士山は日本のシンボルであり、日本人の心のよりどころとなっています。

富士山周辺では、昭和の時代から観光開発、便利さを求めて道路の建設がどんどん進められました。今や、夏のシーズンには30万人が訪れて、大量のゴミの問題も起きています。この美しい日本の宝 “世界遺産 富士山”を守っていくには、環境対策を急ぐ必要があります。人に自由にさせておいたら、自然は必ず壊れます。登山者から入山料を取ったり、その人数を制限することもやむを得ないかと考えます。



震災復興  

平成25年4月 

仙台は今回で4度目の訪問でした。古い記録を探して調べてみると、前回行ったのは1998年(平成10年)2月で、実に15年ぶりでした。その前は、1993年(平成5年)5月で20年前です。その前が、はっきりしないのですが、昭和の終わり頃だったと思います。いずれも学会参加のために訪れたものでした。今回も日本内分泌学会学術総会(4月25〜27日)に出席する目的でした。うちの医院を2日間休診にしたので、久々にゆったりした旅でした。ご迷惑をおかけした方もおられたかと思います。
あまりに前のことなので、前回仙台を訪れた時のことはあまり覚えていません。ただ、この間、2年前には東日本大震災が起こり、地震と津波のために大きな被害を受けた地域です。今回は空路宮城県に入りました。乗った飛行機は海側から仙台空港に着陸しました。到着後、空港の窓からあたりを見回しました。「この空港があの時テレビで何度も映し出された飛行場か」 大量の海水が飛行場、滑走路に流れ込み、車や駐機場に停めてあった飛行機までもが流されていたあの映像を思い出しました。今は平和な飛行場の風景でした。
仙台空港から仙台駅までは電車で行きました。電車の窓からは、多くの建築中あるいは建ったばかりの住宅が目に入りました。大型のクレーンがあちらこちらにありました。仙台市の手前の名取市などは、とても勢いのある街のように見えました。2日目の大事な講演、演題を聴き終った後、夕刻の4時くらいから松島に行くことを思い立ちました。知らずに乗った電車の終点が塩釜で、乗り換え電車が来るまでプラットホームから夕陽の中の塩釜港を眺めていました。ここも甚大な被害を被ったところですが、港付近もきれいに整備されていました。

2011年(平成23年)3月11日に起こった三陸沖を震源とする大地震(東北地方太平洋沖地震)は、国内観測史上最大のマグニチュード9.0という地震の大きさもさることながら、テレビで何度と映し出された津波の恐ろしさをわれわれの目に焼きつけました。当時、その悲惨さには言葉がありませんでした。この国の戦後の繁栄をずっと支えていた何かが音をたてて崩れ落ちたようでした。国家の運というものを使い切ってしまったようにも感じました。しかし、あれから2年が経ち、地元の人間ではないので詳しい内情までは知り得ませんが、着実に復興が進んでいるように見えました。悲惨な場所ではなく、活気があり将来性のある地域のように思えました。

放射性物質を含むがれき処理、使用済み核燃料処理等、遅々として解決が進まない問題もあります。真に復興を応援するというのであれば、総論賛成、各論反対のえせ人権派の人たちみたいなことを言ってたのではだめだと思います。自治体首長は、住民から少々反対されようが、選挙で不利になろうが、率先して嫌なことを引き受けるくらいの気概を持ってほしい。



深夜のテレビ番組でみる蒸気機関車(SL)  

平成25年3月 

体によくないと思いながらも、夜遅くまで起きていることが多い。1年を通して、午前2時より前に寝ることはあまりない。3時前くらいのことが多い。これはもう何十年も続いている。高校の時は、宿題やテスト勉強のためだけでなく、好きな音楽やラジオの「オールナイトニッポン」を聴いたりしていた。職に就いてからは、残業手当など一切付かないのに、病院の仕事や研究で夜遅くまで大学にいることはふつうであった。私がいた頃は、大学病院の当直をするのは、医局の中でも資格上限られた医師だけであったため、当直回数がやたら多く病院によく泊まった。当直の時は、やっと寝むれたかという時に、ここぞとばかりに看護婦に起こされたものである。
夜ふかしの習慣がついてしまっているので、睡眠時間は5時間かそれ以下である。ただし、昼と夕食後に15分程度の仮眠を取っている。睡眠時間がどれだけ短くても、この仮眠が取れれば、頭はさえて仕事ができる。こういう文章もほとんどその仮眠のあとに書いている。今の医院を建ててからは、木曜日が休みのことが多いので、水曜の夜(正確にいえば日付が変わった木曜日の深夜・未明)はさらに遅くまで起きていることがある。夜明けの早い夏場だと、外が明るくなってから寝ることもしばしばある。

風呂から出た後、何気にテレビを付けてチャンネルを変えていくと、NHKで蒸気機関車(SL)が走っている風景をながながと放送していることがある。NHKアーカイブスやNHK特集、新日本紀行などを再放送しているようで、D51、C62、C57などのSLが、歌声のない音楽をバックに、日本中のいろいろな所を走っている映像が流される。SLの背景は、一面に菜の花が咲く畑であったり、満開の桜並木、広々とした海辺の景色や雪景色だったりする。人の声、話というものがない、何の変哲もない真夜中の番組とも見えるのだが、一旦見だすとなかなかテレビのスイッチを切れない。というより、むしろ見入ってしまう。
SLはどれも真っ黒で重量感がある。動き出すときは、車輪をつなぐ主連棒がゆっくり重たそうに上下に動き、スピードが上がってくると、それはすごく速い回転運動を見せる。実にエネルギッシュで雄々しい。一方で、SLは女性的な美しさも持っている。C57形1号機は“貴婦人”と呼ばれている。SLがこれほど美しい形をした物体、乗り物であったとは、昔はわからなかった。われわれの世代までが、実際にSLが走っていたのを見ているし、乗っている。SLの走る姿は郷愁をそそるとともに、「あんたも頑張れよ」と励ましてくれているような気がする。

しかし、この番組は誰のために放送しているのだろうか。平日のこの時間帯の放送を主婦や翌日仕事のあるサラリーマンが見ているとは思えない。いくら遅くまで起きているとは言え、受験生が見ているとも思えない。もしかしたら、これは眠れない人のために放映しているのではないか。近年、50歳以上の男性の自殺が多い。うつは眠れないので起きている。うがった見方かもしれないが、一つには自殺防止のためにSLの映像を流しているのではないか。いろいろ言って聞かせるより、案外、この映像の方が効果があるかもしれない。


徳川家康の遺訓に『人の一生は重荷を負(おう)て遠き道をゆくが如し』というのがある。ちょっとマニアックになるが、ビートルズの名アルバム「アビイロード」のB面最後の部分(ゴールデン・スランバーズからの4曲)の中に“Carry That Weight”という曲があり、その中で『Boy, you're gonna carry that weight. Carry that weight, a long time.』という歌詞が繰り返される。私にとっては、SLの走る姿はこれらの言葉と重なる。時間は遅いけど、ときどきSLの走る姿を見て、気分を盛り上げることも大事かな、と思う今日この頃です。




ワクチン ギャップ

平成25年2月 

わが国では、小児を対象にした定期接種化されたワクチンの種類は、他の先進国と比較すると随分少なく、このことを“ワクチン・ギャップ問題”として、何年も前から専門家の間ではしばしば議論されていました。

WHOの資料では、2010年の時点のでHibワクチンを定期接種にしている国は、国連加盟国193か国中166か国に達し、日本は定期接種化の予定のないわずか18か国の中に含まれていました。今現在、定期接種化されていないのは、内戦が続いているようなアフリカの一部の国を除けば、北朝鮮だけです。同様に、B型肝炎ワクチンを定期接種にしている国は、2010年段階で179か国あり、日本は残り14の非定期接種国の中に今なお入っています。
日本では、この4月からやっと、Hibワクチンをはじめ、肺炎球菌ワクチン、子宮頸がん予防ワクチンが定期接種ワクチンに加えられることになりました。

1980年代頃までは、日本はワクチン先進国の地位にありました。しかし、その後何もしない日本をしり目に、米国やヨーロッパなどの国々は着々と予防対象とする感染症の数を増やしていきました。米国は、2010年の時点で、0歳から6歳の乳幼児に15種類の定期接種ワクチンを行っていました。日本は、現時点でそれが8種類です。小児対象の定期予防接種は、日本では1978年の麻疹ワクチン以来30年以上増えていませんでした。

米国では、接種する種類が多いばかりでなく、その接種率も極めて高く、感染症の発症率が大きく低減しました。米国では、専門家が良いことと決めれば、「ちょっとこわいけん、せんとこ、と思っとるんよー」みたいなことを言う人がほとんどいません。まず、メディアの報道の仕方が違います。日本のメディアは、真に大切なことは何かという観点で報道していないように思います。枝葉末節にこだわり過ぎる。一部のマスコミは、常に、何かケチをつけてやろう、何か文句を言ってやろうというような歪んだ姿勢でのぞんでいます。米国では、科学的根拠に基づいて良いもの、正しいことと専門家が判断すれば、国の機関や学術団体だけでなく、メディア、国民もそれを大胆に推し進めていきます。これに対して、日本はプロの意見が軽視される大衆社会になっています。それから、日本は医薬品の認可に要する期間が長すぎることや、ワクチン導入に対してこれまで国が弱腰だったことも、予防接種の体制が進まなかった大きな原因と思います。

将来を担う子どもを守る予防接種は、国家を守るという意味合いを持っていると考えます。




治りかけこそ大事

平成25年1月 

病気になって治療を始めると、何日かで徐々に病気が良くなってきます。熱が下がる、ひどい咳が減って来る、あるいは嘔吐や下痢などの症状がおさまり食欲が出てくる、いわゆる治りかけ”の時期です。この時期は、まだ体力が戻っておらず、病気に対する抵抗力も落ちているので、ふだんより病気にかかりやすい状態にあると考えるべきです。
冬はいろいろな病気が流行します。そして、子どもの病気の多くは、保育園、幼稚園、学校単位で広がっていくものです。ご家族、中でもお母さんが忙しいのはよく承知しておりますが、登園・登校については、子どもさんの体調全体を考慮して判断しなくてはなりません。“治りかけ”に無理して行かせると、すぐ次の病気にかかることが多いです。また、比較的重い病気にかかった子をこれらの所に行かせながら治すことは、実際ほとんど無理なことです。必ずこじらせてしまいます。



この年の瀬に思うこと

平成24年12月 

昨日、半年くらい前に届いた少し古い雑誌を見ていたら、去年から今年にかけての自然災害のことが載っていた。昨年(2011年)の3月11日には東日本大震災が発生し、巨大な津波が太平洋沿岸の市や町を襲った。その翌日には、長野県でも震度6強の地震が起こっている。7月には高知県、新潟県、福島県で、9月には紀伊半島で、歴史的な大雨土砂災害が起きた。12月から今年1月には北海道岩見沢市で記録的豪雪があった。
そのあとも、今年5月の連休中には茨城県つくば市などで竜巻の被害が起こった。7月には九州北部が洪水や土砂災害に見舞われた。盆前の8月13、14日には近畿地方を強い雨が襲い、大阪府枚方市、京都府京田辺市で観測史上最多の雨量を記録した。短時間強雨は近年増えている。「観測史上、最高の・・・」 このフレーズをしょっちゅう聞いたような気がする。
近年、地球温暖化の問題が叫ばれている。海水面が上昇し続けると、海に沈んでいく島や地域が出てくる。このこと以外にも、世界的に洪水や干ばつが増え、水や食料が不足する地域が増えてしまう。台風の力が強くなるという予測もある。10月末に米国北東部のニューヨーク州などで大きな被害を出したハリケーン「サンディ」も温暖化との関連が指摘されている。反原発は地球温暖化に影響しないのだろうか。
自然災害のことばかりではない。不況が長引き、かつて“名門” “優良企業”といわれた日本の電機産業の大手メーカーが巨額の赤字を抱えて苦しんでいる。近隣諸国との緊張が続いている。尖閣列島、竹島、反日デモ等々。
ちょっと大袈裟かもしれないが、このままこの国で安気に暮らしていけるのだろうかと思うことがある。

一年の10大ニュースが報じられる時期になった。我が家でとっている新聞の国内ニュースのトップは、京都大学 山中教授のノーベル賞(生理学・医学)の受賞であった。2位が東京スカイツリーの開業。3位はロンドン五輪、史上最多の38個のメダル獲得となっている。暗いことばかりでなく、明るいニュースもあった。

最後に、来年は良い年でありますように。必ず。



衆議院総選挙

平成24年12月 

2009年の前回の総選挙では民主党は308議席を獲得した。政権を取ったバラ色の選挙公約(マニュフェスト)に従って政治をやろうとしたが、全くうまくいかなかった。今となっては、あのマニュフェストは無責任、非現実的で、人々をペテンにかけたようなものだった。公共事業は減らしたが、子ども手当、高速道路無料化、高校授業料無償化、農家への戸別所得補償制度などのバラマキ的な政策で一般会計予算は膨張し、財政は一層悪化した。「政権さえ取れば財源はいくらでも出てくる」と言っていたが、“埋蔵金”は発掘できなかった。誤った幼稚な「政治主導」、「脱官僚」で政府の機能を大幅に低下させた。事業仕分けは官僚たたきのうっぷん晴らしのショーであった。パフォーマンスとしては良かったかもしれないが、効果はあまりなかった。

今回(12月16日)の総選挙で、民主党は惨敗し議席数を57にまで減らした。選挙前に次々に離党者が出て、公示前の勢力は230議席になっていた。離党して行った議員の多くは、一貫して大衆迎合主義(ポピュリズム)で政治をやっている人らと感じた。今回の選挙結果は、野田総理がとくに悪かったとは思わない。前の二つ(鳩山、菅)の民主党政権の“負の遺産”を抱えながら、一定の実績は出したと思う。それよりも政権を支える与党議員がお粗末すぎたのではないか。言っていることがバラバラで、議論が一つに収れんしない。決定しても、後で公然と異議を唱えて議論を蒸し返す。常に党内の足並みが乱れ、物事を決められない。こんな政権与党に国民が不信を募らせた結果だと思う。

選挙が終わった今、またゴタゴタやっている。自らの過ちを顧みず、安易に他者に責任を転嫁するのは、この党の体質でありお家芸である。もうやるなら、とことんもめてもらって、もっと分裂した方がさっぱりしてよいのではないかとも思う。
しかし、政治にはしっかりした野党第1党が必要である。3年3か月の間政権を担った経験は、この党にとって貴重なものになったはずである。真摯に反省するところからスタートして、党を再建してもらいたい。




『コンクリートから人へ』

平成24年12月 

『コンクリートから人へ』 2009年の衆議院総選挙では民主党が圧勝しました。その時の“有名”なスローガンです。昔の社会党なんかもそうでしたが、長く野党をやっていた人らは政治はできないが、こういう大衆受けしそうなスローガンを作るのは上手です。“コンクリート(公共事業)”を悪として、そこに行くお金を減らして、そのお金を善たる人々にまわす、という意味合いを込めたのでしょう。実際に、公共事業費は当初予算ベースで2009年度の7.1兆円から2012年度の4.6兆円にまで減りました。
しかし、この政策によって、地方は疲弊しました。有力な産業の少ないこの南予地方などでは、地域経済がますます冷え込み、不況の深みにはまりこんでしまいました。コンクリートに関わっていた会社が倒産または大幅な減収となり、多くの人が職を失いました。住んでいる場所を出て行かなくてはならなくなった人もいます。“コンクリート”もなくなりましたが、お金を渡す“人”もいなくなりつつあります。地方の経済にとどめを刺したように見えます。

票欲しさに使かったこの薄っぺらなスローガンは、コンクリートにたずさわる人たちの自尊心を傷つけたのではないかと思います。コンクリートや鉄、土、木などを使って、道路、橋、堤防、ダム、水道、トンネルといった大きなものを作るのが土木ですが、土木イコール「税金の無駄遣い」 「環境破壊」みたいな悪いイメージを植え付けてしまったのではないかと心配します。

今テレビでは今回の総選挙の開票速報を報道しています。各局とも民主党惨敗の予想を出しています。



“おうとげり”じゃないといかんの

平成24年12月 

実際にあった話です。市内の保育所の保母さん(“保育士”なんかよりはるかに良い呼び名です)と、そこに通う園児の母親の話です。
金曜日の夜に、発熱、嘔吐が出現し、夜の急患を診てくれる病院(急患センターではない)を受診しました。内科の先生に、感染性胃腸炎と言われ、薬をもらって帰りました。翌日の土曜日の朝、嘔吐がなかったので、さっそく保育所に連れて行ったら(こんなことするから病気が園内に広がる)、保母さんに「“おうとげり”やったらいかんけん、小児科で診てもらってきて」と言われました。その母親はその日は病院に連れて行かず、日曜日に小児休日当番医の八幡浜の小児科医院に行ったそうです(タダだからできることです)。そこの先生に急性腸炎と言われ、薬をもらいました。
月曜日にはその児の症状はかなり良くなっていました。保育所に行って、「昨日小児科に連れて行ったら、急性腸炎と言われた」と伝えたところ、保母さんに、再び「“おうとげり”やったらいかんけん、違うとこで診てもらってきて」と言われたそうです。仕方がないので、しぶしぶその保育園に近い小児科をまた受診したそうです。そこで、それまでの経過を話したのですが、母親があとで言うには「その先生の機嫌が悪くて悪くて、話にならなくて・・・」。 どうも、その先生は病気や診断名のことを詳しく説明していたようなのですが、自分の話に力が入っていたのと、おそらく保育所の対応にあきれて、強い口調になっていたのだと思いました。そして、当院に来られました。もう4軒目です。確かに、頭に血が上りそうな話でしたが、一方で驚くやら、がっくりするやら、この程度かと情けなく感じました。それにしても、この母親が気の毒でした。


ヒトにうつる消化管の感染症は、公的機関ならびにマスコミ・新聞用語では、感染性胃腸炎で統一されています。そして、それをひき起こした病原体がわかれば、ノロウイルス腸炎とかロタウイルス腸炎、サルモネラ腸炎などと呼ばれます。慢性の病気ではないので、急性腸炎とも言われます。
上記の話は、たとえて言うなら、ある子が急性気管支炎と診断されて、保育所にそのことを伝えたら「セキ・ハナやったら行かんけん、診てもらって」と言われたようなものです。もっと言えば、音楽界に詳しい人が「この方は矢沢永吉さんです」ときちんと言っているのに、違う素人の人から「“えーちゃん”やったらいかんけん、他の人にも見てもらって」と言われたようなものです。私も、このあたりの医師も、正確な病名を告げて頑張ってきましたが、なにせ“多勢に無勢”。「おうとげり」と言わないと、通じない、納得してもらえない。気持ちが萎えてしまいました。
今年も、年末近くになってウイルスによる感染性胃腸炎(主な原因ウイルスはノロウイルス)が増えてきました。毎年の現象です。そして、今日もまた、「(“おうとげり”やったら休まんといかんけど)下痢だけで吐かないので、”おうとげり“じゃないと思って、保育所に連れて行った。」(これの反対の場合もあります) このレベルの話を日々聞いています。“おうとげり”と言うから、かえって話がややこしくなっていることがあります。



インフルエンザワクチン

平成24年11月 

稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け』 徹底した実学主義を唱えた東京農大の初代学長のモットーだったそうです。先日、文化の日の連休のところで、この大学では収穫祭(学園祭)が行われました。ここの収穫祭は人気が高く、例年15万人くらいの人出があるそうです。先の“教え”は大学のホームページの中で見ました。「初代学長は観念論を排して、実際から学ぶ姿勢を重視した」と書かれていました。

タイトルとは全然関係のないような話ですが、そうではありません。インフルエンザワクチンについては、1990 年代、“くせのある”医師、学者らと一部のマスコミが、“ワクチンは無効”の大キャンペーンを張りました。予防接種を受ける人の数はどんどん減りました。医療機関でその有用性を説いても、メディアの力は大きく、一般の人々にはあまり信じてもらえない時期がありました。ワクチンの注文が減り、医療機関からのワクチンの返品も多く、メーカーは生産量を減らすことを余儀なくされました。しかし、その後老人ホーム、介護施設などで集団感染が頻発し死亡者が増えたことから、その効果が見直されるようになりました。一転して、ワクチン不足となりました。その頃、ワクチン無効論者は比較的おとなしくしていました。年月が経っても、ワクチンに効果がないと言い続けていた人たちがいましたが、2009年の“新型インフルエンザ”騒動の際に、世論が「有効な予防法はワクチン接種だけ」となった時は、完全に黙っていました。あれから3年が経ち、またそろそろ無効論を言いたくなっている頃と思います。

いろんな理屈、データがありますが、実際の臨床の場で仕事をしている者の目から見て、インフルエンザワクチンに効果のあることは明らかです。多くは言いません。尖閣列島と竹島が日本の領土であるという議論と同じようなものです。ワクチンをしていても、学校に行って座席の両隣、前後からコンコンやられたら、それはうつりますが、かかっても軽いです。ほとんどの例で熱が早く引きます。微熱がだらだら続いたり、こじれてひどい咳になることが少ないです。保育所や小学校で、はじめにインフルエンザにかかっていくのは、大抵ワクチンをしていない子どもたちです。

どの分野にも、思想的におかしな者、よりセンセーショナルなことを言って目立ちたがる人間が存在します。大した知識もないのに、知ったらしげにしゃべるマスコミ関係者、評論家の類(たぐい)も多いです。医師といっても、インフルエンザ脳症で亡くなった子を診たことがない者、重い後遺症を残した子を診たことがない者、もっといえば高熱でかなりしんどそうなふつうのインフルエンザの患者すらろくに診たことがない者が、資料と記録だけをみて好き勝手言っている場合があります。

過去30年間、何千いやもしかしたら万の単位で、インフルエンザの患者さんを診てきました。「インフルエンザワクチンをしているのと、していないのとでは全然違いますよ」と来院された方に話をしています。



おかしな話

平成24年11月 

「生涯、現役。」 これを飛行機のパイロット、バスの運転手がやったらどうなるだろう。乗り物には危なくて乗れない。学校の教師がこれをしたら、将来ノーベル賞を取ったり、この国を背負って立つような人物は出ないのではないか。そこまで優れた子ではなくても、ボケの始まった人からものを教わるくらいなら、少々学費が高くても、バリバリの教師がいる私立の学校で学ばせた方が良いと思うだろう。

大洲に来て9年目になる。市の福祉センターで乳幼児健診を依頼されたのは、5年経ってからであった。それまで、その仕事を断ったことはなく、依頼がなかっただけである。これについては、誰の差し金だったかわかっている。
今年になってやっと、保育園の園医になった。市内には幼稚園、保育所は20以上ある。地元の医師会に、どうなっているのですかと問い合わせをしたら、園医の話が来た。校医の話は一向に来ない。こういう状況でありながら、園医、校医の会議には毎回、出欠を問う書類が送られてくる。
今、この市で、自分が診ている子どもの数は少なくはないと思う。
日常診療にはあまり影響のないことであり、関係者が好きにやってもいいのかもしれないが、こういうことがまかり通っていること自体不思議である。

内科、小児科で園医や校医をするのなら、聴診器を当てたら心臓の音や呼吸の音が聞こえる人でないといけないだろうし、目もしっかり見えてないといけないと思う。すべての医師がいつまでも目や耳がいいわけではない。年をとってくると、脳の回路が日によってつながったり、つながらなかったりする方もおられる。何と言っても、園医、校医はふだん子どもを診ている人でないといけないと思う。それにしても、そもそも誰が、どういう根拠でこれを決めているのだろうか。



不名誉な数字

平成24年11月 

地方紙(新聞)は長年とっていない。自分にとって、読む所が少ない。今は違っているだろうが、一昔前の地方紙やローカル放送局の記者は感じの悪いのが多かった。時々、職場で会うことがあったが、正義の味方ぶった、何か勘違いしている、えせインテリという印象だった。彼らに比べれば、市役所の人や警察官、病院関係者、議員等は感じの良い方である。
こういう仕事をしているので、地域のことを知らなくてよいとは思っていない。喫茶店や理髪店では地方紙を読んでいる。タクシーの運転手さんやつきあいのある業者の人ら、何より、当院に子どもさんを連れて来てくれているお母さんやお父さん方から、さまざまな情報を聞いている。今の場所に来てからケーブルテレビを見るようになったが、その番組の中にこてこての地域関連ニュースがある。初めは、こんなのがニュースになるのかと思ったが、あまりに“平和”なので晩御飯を食べるときに割と見ている。知っている子やお母さんらがよく映るので、面白がって見ている。

前置きが長くなったが、本題に入る。この2か月くらいの間に、我が家でとっている全国紙に載った本県関係の記事(地方版の部分ではない)で、気になったものがいくつかあった。
一つ目は、公立小中学校の耐震化率についてである。文部科学省が公立小中学校の耐震化状況(本年4月1日現在)を発表した。耐震化率(耐震性が確保された施設の割合)は、全国の都道府県の平均で84.8%であった。トップは静岡で98.8%、これに続いて愛知、宮城が98.0%であった。愛媛は71.7%でドべから4番目であった。二つ目は、津波の時に閉鎖できない水門のことである。会計検査院が、太平洋側の都道府県の海岸にある水門や、ふだん人や車が通っている防潮施設の1万3千か所余りを調査した。「問題がある施設が最も多かったのは、南海トラフ巨大地震が懸念される愛媛県内」と報道されていた。
三つ目は、財政制度等審議会での、地方公務員の給与に関する議論を紹介した記事。「青森県や秋田県、愛媛県では、地方公務員と民間企業の平均月給の差10万円を越えるという。」 この件については、この辺りの民間企業・会社の給料が低いことも事実として関係していると思う。

それぞれの項目に、本県としての複雑な背景、事情があるのかもしれない。一方で、簡単に“不名誉”な数字、順位と済ましてしまってはいけないのかもしれない。ただ、何かなさけない感じがする。
次は、誇れる数字、順位も探して、ここに書きたいと思う。




休日・時間外診療

平成24年9月 

当院では、昨年(平成23年)1年間で、日曜祝日1049名の患者さんの診療を行いましたた。そのうちの541名は喜多・八幡浜・西予休日当番医の日に受診した子どもさんです。あとの508名は、当院が独自に不定期で、日曜祝日の午前に診療を行った際に診た患児でした。土曜日の午後の診療では1331名の患者さんを診ています。これに年末12月29日、30日に行った診療を加えれば、2460名の患者さんを平日・土曜の午前以外で診たことになります。“診療を断るのが仕事”みたいになっている所もある公立病院やどこかの急患センターよりは、患者さんを診ていると思います。当院がかかり付け医になっている子どもさんを積極的にこれらの日に回せば、もっと多い数になりますが、混むのでそれはあまりしておりません。

開業医がいい車に乗っていい生活をしているというのは世間の一つのイメージですが、皆がそうなっているわけではありません。私なんぞは10年もののホンダ フィットに乗って、質素に生きております。週休2日、週40時間勤務、有給休暇いっぱいの公務員みたいな安気な生活をしているわけでもありません。もっとも、今の公務員の方々は必ずしも楽ではなく、上のほうの人は結構忙しいことは存じております。

休日や土曜午後の診療には、当院がかかりつけではない人達が多く来ます。今の日本で、休日時間外の初診患者100人と会えば、かなりの確率で良からぬ親に当たってしまいます。こちらが正しいふつうの対応をしていても、悪態をつく者、食ってかかる者、あとで因縁をつけてくる人がいます。もう一方で、うんざりするほどしつけのできてない子らに会います。暴れまわり、口すら開けない、診察するだけでもスタッフが3人くらい必要となる子がかなりいます。たとえ診察はできても、医者1人だけでは処置はまずできません。そこらの点を保護者の方や救急隊の方にわかっておいてもらいたいと思います。
本当の意味での救急患者も100人に1人くらいですが、早く病気を治す、早く症状を取って楽にしてあげるという点で、この診療に多少意味があると考えます。



怪しげな寄付の依頼

平成24年9月 

今、大学などの公的機関が民間の企業、会社や個人から寄付をしてもらおうとすれば、その趣旨・目的、寄付金の使い道(予算)等を細かく記載した書類を何枚も提出しなければならない。また、年度が変わったり、その事業が終了すれば、何にいくら使ったを克明に記した決算書を作成しないといけない。監査委員のチェックを受けなければならないことも多い。
ところが、こういう仕事をしていると、ふつうのおばさんが受付にお金を集めに来たり、なにやらわからない寄付金依頼の手紙が郵送されて来ることがよくある。すべてについてではないが、私は人に金の無心をするくらいなら、自分らが働いてお金を貯めればよいだけのことと思っている。以前、テレビで放映していたが、駅前などで募金活動をしている人らにテレビカメラやマイクを向けて取材しようとすると、彼らは一目散に逃げていく。インチキ“人助け”募金で、善良な市民からお金を取っている悪い人間が多いのも事実である。

とは言っても、たまたま学校の役員をしていて寄付金集めの係にされた人たちもおられ、その方々が一軒一軒お金を集めて回っているのは大変だろうなと気の毒に思うことがある。ただ、いわゆるお客様商売をしている所は、寄付を断りにくい立場でもある。そこを突いて金集めにまわる人がいて、またまわらせる幹部もいる。
学校の生徒さん関係で寄付を依頼するのであれば、学校長とPTA会長の印鑑を押した書類を持って、各家や事業所をまわるのが筋ではないか。それから、はっきり言って、○○学校の△△部が県大会、全国大会に出場するからといって、必ずしもすべての商店や会社、医院がうれしいわけではないだろう。寄付をしないといけない理由もない。その出場選手の父兄、その部のOBら関係者の間でいったいいくら集まったのか。学校の援助は。そして、どの程度の金額が不足していて、いくら集めたいのか。交通費、宿泊費を援助するのか、食費やユニホーム代なども含まれるのか、明らかすべきである。また、行事が終わった後には、大まかでよいが、その収支を報告しないといけないはずである。

当院はこれまで寄付をしてきたが、実際に、地元で寄付を集めている種々の団体が、使途を明確にした書類をあとで持ってきた例は一度もない。こう言っては語弊があるかもしれないが、この地域には公の金と個人の金を区別できない人がいて、これまで何度も問題になっている。また、保護者徴収金の流用問題で文科省から不適切と指摘を受けている学校が全国でたくさんある。愛媛県も含まれている。
何年か前には、こんなのがあった。寄付を頼んできたのは、○○学校○○部OB会。OB会だから成人の集まりで、収入を得ている人らが主催する競技会である。「冊子を作って、その中におたくの宣伝を入れるから寄付をしてほしい。」 見たら、それはそれはショボい冊子。 関係者があとで一杯やるために寄付金を集めているとしか思えない依頼もある。

うちでは、日本赤十字社、出身高校・大学、NPO法人の国際地雷処理支援、国境なき医師団、西予市野村町の乙亥大相撲や東日本大震災などに対して寄付を行っている。また、この地に住んでいるのだから、地域のお祭りや季節の行事に寄付をするにやぶさかでない。ただ、いずれにしても、今どき、人から寄付をもらったら、その簡単な収支報告と礼状くらい出すのは当然のことと思うがいかが。



疲れたら休もう

平成24年8月 

大ファンというわけではありませんが、すごい才能の持ち主と以前から尊敬している桑田佳祐さんが、先月新曲『愛しい人へ捧ぐ歌』を出しました。その歌詞に、「長い旅路を歩き疲れたら 荷物を降ろして ・・・」という一節があります。もう一つ、どこで読んだか、誰の言葉だったか忘れましたが、「疲れたら休め。彼らもそう遠くへは行ってないはずだ。」 彼らとはライバルの意味です。これらはいい言葉だと思います。

今、暑いこの時期に、部活やいろいろな競技に汗を流して頑張っている生徒たちがいる。進学のため、資格を取るため、連日遅くまで勉強をしている高校生や大学生がいる。きびしい雇用状況の中、就活で悶々として日を送っている若者もいる。今の若い世代には、どうにもならんなと思う連中もいますが、頑張り屋もたくさん見かけます。「ここで休むと、競争相手に追い抜かれる」と思ってしまうタイプの人には、上記のような言葉の方が “頑張れ”より大事かもしれません。

八幡浜市出身のスポーツ評論家の二宮清純さんは、ある対談の中で、「スポーツの世界では、トレーニングの質と量が重視されてきたが、今ではそれと同じくらい、休養も大切だという認識が根付いている」と述べています。多少からだに異変があっても根性で乗り越えるというのは非科学的であり、一流選手は大事な時こそ勇気を出して休むということをしています。まだ、しばらく身体にきつい季節が続きます。疲れたら休みましょう。

記憶や知識は休憩中や睡眠中に脳に定着することがわかっています。休養は運動能力、技術の上達だけでなく、知識や学力の向上を図る上でも大切なことです。それから、今の世の中、気持ちの上でもきつい状況にしばしばなります。精神・心理面での安定を保つ上でも休養は必要です。自分の経験からも、疲れていた時の決断にはろくなものがなかった。心身が疲れ切った時は、頑張らずにむしろ“一旦立ち止まる” “荷を降ろす”、さらには、気分転換のため “しばしその場から離れる”ようなことをした方がよいと思います。

はじめに触れた桑田さんの歌の終わりには、「今悲しみ去って 空が晴れてく  また一人で立って歩き出そうよ」という歌詞がありました。CDなど自分では買ったことがありませんが、歌手、作曲家としてだけでなく作詞家としても優れた人だと思います。



猛暑の時期の子どもの発熱

平成24年7月 

梅雨明けとともに厳しい暑さとなりました。今日7月22日は二十四節季の大暑です。この先、この暑さが何日も続くのでしょうか。近年は9月後半になっても猛暑日になることが多く、運動会が行われる頃にも熱中症の報道がよくみられます。今年は、原子力発電の停止に伴い電力の需給状況が厳しくなっていることから、節電が呼びかけられています。しかし、この猛暑の時期には、熱のある具合の悪い子どもさんがいる場合は、エアコン等をつけてなるべく快適な環境にすることが大切です。

熱を出し切って治す」 診察をしている際にお母様方からわりとよく聞くフレーズです。どこかの偉い先生がよく使っているのでしょうか。かっこいい。実にうまい。ど根性ものを評価する日本人がいかにも好みそうで、キャッチフレーズとしてはすばらしいと思います。センスがある。それなら、ついでに、鼻水を出し切って治す、咳(痰)を出し切って治す、下痢を出し切って治す、と言ってみてはどうだろう。いずれもまんざら間違っている訳ではない。汚いものを体の外に出すという点では、良いことかもかもしれません。解熱剤も、咳の薬も、ハナの薬も、お腹の薬もほとんど飲まなくてよいことになり、小児科の開業医なんかいらないということになります。

猛暑の時期の子どもの熱対策は大事で、熱を下げることも重要な治療の一つです。“熱を出し切って”いると、一緒に出て行ってしまうのが体力、元気、食欲で、代わりにやってくるのが不機嫌、食欲不振、脱水、熱中症、熱性けいれんみたいなものです。この“熱を出し切って”のフレーズについては、悦に入ってしゃべっているようですが、聞き様によっては、熱を出し切らないと病気は治らない、というようにも聞こえます。手足口病やヘルパンギーナなど夏かぜの時の発熱は、熱を出し切ったから治っているのではなく、日が経ったから治っているのです。現に、熱が出ないままに治っている患児もいます。

私は、子どもには意味のない無駄な苦労はさせない方がよいと思っています。鍛えたり、我慢をさせるのは元気な時にさせたらよいことで、病気の時や精神的にまいっている時は少しでも楽にしてあげることが大切と考えています。とくに、お母さんがやさしく接して看病することは子どもにとって何よりの治療になります。



いじめ事件

平成24年7月 

7月の「海の日」の連休を利用して職員旅行に出かけた。行き先は東京都心部とディズニーランドで、旅行前は月並みな所と思っていたが、予想に反してこれがとても楽しく有意義なものであった。ディズニーランドでは、「たまにはこういう場所に来ることも大事だ」とつくづく感じた。みんなとびきりの笑顔で実に幸せそうだった。束の間でも、嫌なこと、不安なことをきれいに忘れさせてくれる場所があることは生きていく上で大事である。

今、連日のように報道されている大津のいじめ事件はあまりにもひどすぎる。加害者の陰湿、卑怯かつ執拗ないじめには心底腹が立つ。こういう腐りきった輩(やから)の更生は不可能なので、未成年ではあっても甘い処分にする必要はないと思う。「このにしてこの子あり」と言われるが、社会のくずに育てた親にも責任はある。これだけの事をやらかした加害者とその親が社会的に罰せられることは、ある程度仕方のないことと考える。
少年が通っていた中学校の教員市の教育委員会の職員もボロすぎる。顔にもそれが出ている。彼らがちょっとでもまともだったら、こんなことにはなっていない。怒りを覚える。「知らなかった」 「見落としていた」 「報告を受けてなかった」 知っていたが逃げていたと言ってしまうと、自分たちの管理責任を問われるので、そういうことにしているのだろう。誰が聞いても嘘とわかる話である。保身しか考えていない。もし、本当に気付かなかったのなら、その職には不適格なので即刻辞めた方がよい。学校の教職員は、相手が弱く無抵抗とわかると体育教員などワルそうなのが束になってかかっていくが、不良生徒とその親が強そうだとすぐ逃げる。教育委員会は種々の権限を持っているが、役に立たない組織の代表みたいな所である。橋下大阪市長は「うみの中のうみ」と言った。個人的には、世の中に良い教師がいることは十分わかっている。
“葬式ごっこ” “自殺の練習” 亡くなった被害者の少年に対するいじめを知っていて何も言わなかった生徒や保護者もけっこういるだろう。被害者の少年から見れば、これらの人たちも、積極的ではないにしても、いじめの協力者だったかもしれない。私は以前から、学校なんか無理に行かなくてもよい所と思っている。「大したことを教えてくれるわけでなく、助けてくれもしないのに、学校なんぞに行く必要はない」と、被害者の中学生に言いたかった。
父親の被害届を3度も受理しなかった警察が今頃になって正義の味方ぶって捜査を始めた。マスコミ関係者が大勢いる前で、教育委員会の部屋に強制捜査に入るとは実にしらじらしい。専従捜査員を40人にもしているという。それならば、被害届を受理しなかった警察担当者は処分されないといけない。旗色が悪くなったら、警察はこうも変わる。誰かが死なないと動かない、世論でボロクソ叩かれないと非を認めない警察組織にも問題がある。

これらの者には、自殺した少年の墓の前に毎日数時間正座させて、その少年の声なき声を聞かせたらよいと思う。被害者の少年は、この何年間か、心の底から幸せな気持ちになったことはあったのだろうか。



高齢化率

 平成24年6月 

今月19日付の新聞に、政府が2012年度版「高齢社会白書」を閣議で決定した、という記事が載っていた。その白書によると、65歳以上の総人口に占める割合(高齢化率)は、過去最高の23.3%になったそうである。日本人4人に1人が65歳以上の老人である。2年後の2014年には高齢者人口は3300万人を越え、1980年のそれの実に3倍になる。高齢化社会が進むスピードがあまりにも速いと感じる。
また、今月初めには、厚生労働省が2011年の人口動態統計を発表したが、昨年生まれた赤ちゃん105万人で戦後最少となる一方、125万人の方が亡くなった。人口の減少20万人を越えたのは初めてで、この減少の規模は年々拡大するそうだ。このことは、大洲市、八幡浜市、西予市、内子町、伊方町とそれに宇和島市を加えた人口が毎年消えていくことに等しい。さらに、第1子出産時の母親の平均年齢30.1歳と初めて30歳を越えた。昭和の時代では考えられなかった現象である。

手元に、当院の開業を手伝ってくれた医療コンサルタント会社の資料がある。それを見ると、小児科休日当番の日に担当する範囲の大洲市、八幡浜市、内子町、西予市、伊方町の高齢化率は、2010年ですでに33%であり、今から8年後の2020年には40%に達する。2.5人に1人が65歳以上である。一方、64歳以下の人口はその10年間で2万人以上減少する。となりの市の医師会長さんが医師会雑誌に、「(高齢化率40%以上の地域になり) 南予の商店街はシャッター通りになり・・・。果たして、病院やパチンコ屋ばかりが目立ってよいのでしょうか。」と書いておられた。産業もなければ、求人もなく、さらには働き手もいなくなる。住民税、所得税を払う人はいったいどれくらいいるのだろうか。自分は、この先の人生をのんびり生きたいと常々思ってきたが、どうもそういう状況ではなさそうである。

日本には、累積債務・財政再建の問題やエネルギー問題など早期に対策を取らないといけない問題がある。急速な少子高齢化もその一つであるが、地方はさらに早く深刻な超少子高齢化社会が到来する。本当に、気が滅入る重苦しい状況である。



子育ては長い旅

平成24年5月 

「今になって考えると、いい思い出だけど、その時は必死だった」 
子どもが就職したり大学まで進学して、育児が一段落した女性がよく言う言葉です。本当に大変だったのだろうと思います。自分なんかは、子育てに関わったのはほんのわずかであり、“私の子育て論”などという大層な事を言う資格はないので、人様に「これ聞け」とばかりに話すことはほとんどありません。ただ、次のことは言いたいと思います。

子育ては長い長い道のりを行く旅です。しかもノンストップの旅です。近道はなく曲がりくねった道です。焦らずせかず、ゆとりを持って、子どもさんといっしょに一歩一歩進んで行きましょう。

子育ては、親にとって大きな生きがいの一つですが、最も苦労するものでもあります。とくに母親は、育児でときにはいらいらしたり、不安でいっぱいになることもあるでしょう。疲労感も募ります。今日、子育てについては、いろいろな所から様々な情報が入ってきます。その情報の多くは、親を安心させるものではなく、不安をかき立てるものになっています。親の精神心理面での安定度は子どもに反映されます。過度の期待と不安だらけの状況では、まともな育児にはなりません。

子どもの成長や発達、また性格には個人差があります。よその子どもを見ると、つい比較してしまい、その差が気になります。他の子どもと比べるのではなく、その子が半年前、1年前と比べてどうなっているかという視点で見ることが大切と考えます。




「前の所はやめて、ここで診てもらおうと思って・・・」

平成24年4月 

小学生や中学生は住んでいる地区によって通う学校が決まります。保護者や生徒は担任の教師を選択することはできません。これに対して、病気になった場合には、患者さんやその家族の方は病院(医院)そして診療科も、ほとんどの場合自由に選ぶことができます。そうした中で、今回のタイトルのように言われることは、医師にとってとても有難い、また名誉なことだと考えます。
普段忙しい時は病気に関することだけ聞いて診療をしますが、患者さんが少ない暇な時は上記のように言われた場合、「何か理由があるのですか」と何気なく尋ねてみます。すると、前の病院(医院)の話がいろいろと出てきます。来院される方のほとんどが南予の人ですので、人をひどくののしるようなことはあまりありません。「この子が口を開けないので、来るなと言われた」 「アホになりますよと言われた」 「先生が年をとっているので、言っていることがよくわからない」 「1年の半分は抗生剤を飲んでいる」とか、なるほどこれは・・と思うこともあります。時には、前にかかっていた医師の悪口がまあ出るわ出るわ、みたいなこともあります。“自分もこういうふうにあちこちで相当言われているのだろうな”と思いながら聞いています。

しかし一方で、前の病院(医院)でなされた診断、治療、病気に関する説明等になんら間違っていると感じるところがなく、むしろよく考えられた正しい医療がなされていると感心することがしばしばあります。小児科では、このようなケースは、保護者(主として母親)の思い込みが激しい性格に起因していることが多いように思います。「今の先生がされていることは正しいと思いますよ」と話します。

自分自身、“あの説明ではわからなかったかもしれないな” “あの言い方はまずかったかな”と日々反省しております。ただ、我々小児科医は、親に対して多少耳障りな事でも言うべき事は言わなければいけない時もあります。



ちょっと暗すぎるのでは、大洲

平成24年3月 

暗い。どこもかしこも本当に暗い。自分が子どもの頃(昭和30年代後半から40年代前半)の東予の田舎でももっと街灯があった。学会参加のため過去3回中国に行ったことがあるが、人民服を着た人がまだけっこういた天安門事件(1989年)前の中国でも、裸電球ではあったが夜の通りにもっと灯りがあった。暗すぎないか、大洲一つは夜の暗さである。
去年の夏、夜散歩をしていたら“天の川”が見えた。写真や映像ではなく、自分の目で生(なま)で見たのは何十年振りかであった。ハワイ マウイ島のハレアカラ火山山頂の星空観測ツアー並みである。「しかし、なんでこうも暗い。天体観測のために街灯をつけていないのではなかろうに。」と思った。そこは大洲農高の裏からツタヤの前を通って徳森方面に抜ける二車線道路の横の歩道である。ここだけではない。長浜へ行くまでの道路やその周辺も暗い。国道197号線の菅田から大成小学校あたりもめちゃめちゃ暗い。高速道路を通って松山から帰ってくる際、内子からトンネルを抜けて大洲に入ると、街の暗さに気づく。新谷も、当院がある地区も、五郎あたりも相当暗い。何百メートルに渡って街灯がない所がいっぱいある。
その真っ暗な中、中学生、高校生が自転車で家に帰っている。電灯をつけて走れと言っても、故障することもあろう。そうなったら、この真っ暗な中どうやって帰るのか。日の入りが早い晩秋から冬には、灯りのないところを小学生が帰宅しているのを見かける。危なそうである。事故やけがのことだけではない。変質者がいるかもしれない。節電のためなのか、国・県・市どこにもお金がないからなのか、誰かが反対するからなのか、理由は知らないが、PTAの会議などで問題にならないのか、子ども何とかパトロールと書いたステッカーをうしろに貼って走っている車を見かけるがこのおじさんらは気にならないのだろうか、一旦停止しなかった車や止まれとマイクで呼んだら素直に止まる車を取り締まっている警察でもこの暗さのための危険性には気づいているだろうに、市会議員の一人くらい『子どもの安全、防犯』の観点から議会で発言しないのだろうか、と思ってしまう。せめて通学路くらいはもっと灯りをつけたらどうか。こう暗いと危険なだけでなく、人心も暗くなる。


もう一つは“お先真っ暗”の暗さである。物を買ったり、食事をする店は多いが、給料を払う会社、企業が減っている。若者の就職先がない。子どもをもつ大洲出身の若い夫婦が生活のため転職して、大洲を離れている。県や市も企業誘致などいろいろな対策、努力はしているのだろうが、地域経済は悪いままである。
ある人たちを不愉快にするような話であるが、一市民の声として聞いてもらいたい。“ダム反対、賛成”みたいなことだけに燃えないでほしい。老人福祉を訴えて、票を取ろうとしないでほしい。若い世代が減っていくと、年寄りばかりでなく、市や町全体がやっていけなくなる。



当院のホームページ

平成24年2月 

当院のホームページへのアクセスの回数がもう少しで2万回になります。どのような方々に見ていただいているのか知る由もありませんが、有難いことと思っています。
ホームページについては、開院前からいろいろな人に、「今の時代には必要なものですよ」と言われていました。開院直前、開院当初は忙しくてそれどころではなかったのですが、診療が何とか軌道に乗って動き出した平成21(2009)年秋に、今のホームページの原型になるものができました。はじめの頃は、トップページの左横のアクセスの回数を示す数字はそれほど増えてはいかなかったように記憶しています。何より、発信源のこちらの方が“ホームページができた”ということだけで満足して、きちんと書き込みをしていませんでした。恥ずかしい話ですが、ホームページができて何か月か経った頃、当院のある職員から 「あれではまずいんじゃないですか」と言われました。トップページの記述を見ると、“残暑が厳しくまだ暑い日が続いております”と書かれてありました。目が点になりました。書き換えた文は、“日が短くなり、一段と寒くなりました。・・・クリスマスの飾りを見るようになりました”でした。日々ホームページを見ていた人がいたら、大笑いしたことと思います。

「こんなことではいけない」と反省しました。と同時に、「ホームページを日々更新していかないといけない、ためになることを真面目に書かないといけない」と思うと、余計にパソコンから遠ざかってしまうので、「書きたい事を書こう。更新していく事柄だけでなく、残す文章も書いていこう。」と考えました。『歳時記』、『コラム』のページはその年の12月から始めました。『歳時記』は気分の良い時に書いているような気がします。自分は高校が理数科で、大学が医学部なのでこてこての理系のはずなのですが、前々から感性は文系と思ってきました。高校時代は、古文・漢文は得意でした。『コラム』は非難されること覚悟で書くことがあります。時には、「この内容じゃ、来院者が減るかもしれないな」と思うこともあります。私自身にとって、このホームページは自分の生きた標(しるし)みたいなところもあります。たまに、以前書いた文章を見返すと、「あの頃はこんな事があったか、こんなことを考えていたのか」と、その時のことを改めて思い出すことがあります。 

ホームページが今の形になってから2年ちょっとです。アクセス数が増えて来たのは、ここ7、8か月くらいです。現在も、徐々に増えて来ています。「ここの病院のホームページを見た」 「書いていたことを読んだ」と、直接言われることはほとんどありません。たまに、「携帯でここのホームページが見れるので、(ふだんは休診日の)今日やっているとわかった。」と来院されたお母さんから聞くくらいです。便利になったものだなと思います。当院の職員やうちの家族は、患者さんの保護者の方々や友人、つきあいのある種々の会社の担当者との会話の中で、ホームページの記事の内容がわりと出るようです。これからも時間を作っていろいろな事を書いてまいります。何か少しでも参考になることがあれば幸いです。



2014年、2015年 コラム

2009年、2010年、2011年 コラム



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